砂あらし地を削りてすさぶ野に爆死せし子を抱きて立つ母
作者岡野弘彦の歌集『バグダッド燃ゆ』より、教材に取り上げられる短歌の解説と鑑賞を記します。
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砂あらし地を削りてすさぶ野に爆死せし子を抱きて立つ母
読み:すなあらし つちをけずりて すさぶのに ばくしせしこを いだきてたつはは
作者と出典
作者:岡野弘彦
出典:歌集『バグダッド燃ゆ』
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現代語訳
砂漠の砂嵐が地表の砂を巻き上げていくその地の上に、爆弾で死んだ子を抱いて立つ母よ
句切れと修辞法
句切れなし
体言止め
語句の解説
以下に「解説」中に記す
解説
歌集『バグダッド燃ゆ』は2001年9月のニューヨークの同時テロ以後のイラク戦争が主題の歌集で、その中の一首。
この歌を取り上げた「天声人語」には「死んだわが子を抱く母親ほど悲痛な姿はない」との岡野弘彦自身の言葉が記されている。
歌の背景
イラク戦争は米国がイラクを攻撃したもので、イラク国内が戦場となり、民間人も犠牲になった。
アメリカ軍に攻撃をされて、亡くなった子供を抱く母とは、おそらく報道された映像化画像を元にしたものと思われる。
「砂あらし地を削りてすさぶ野に」
「地」は「土」ではなく、「地」に「つち」とのルビがある。
そもそも大地の表面が固い土ではなく、砂漠地帯なので風が吹くと砂埃が立つ。
「砂あらし」であれば地表の砂が舞い上がる。
このような厳しい風土を描いている。
「すさぶ」の意味
すさぶの漢字は「荒ぶ」で、意味は「ある方向にいよいよ進む。特に、雨・風などの勢いが増す」こと
「あらし」は「地」の前に置かれて、ひらがな表記となっているところも注意しよう。
「母」の体言止め
語順は体言止めとなっており、「母」がいちばん後にくる。
「爆死せし子抱きて母立つ」ではなく、母その人がズームアップされてくる。
上のコメントを読むように、戦争の悲惨さというグローバルな視点ではなく、作者が子を亡くした母の気持ちを深く思いやるところにこの歌の主題がある。
母の悲しみ=作者の悲しみ
母の感情を感情を表す言葉はなく、抱いて立つ以外の様子もわからない。
上句「砂あらし地を削りてすさぶ野に」は、外の様子であるが、それがそのまま母の内面を代弁する描写となるだろう。
そして、これがまた、その母に成り代わるかのように、作者自身が感じていることでもある。
作者はこの情景が胸をえぐられるように悲しいのである。
『バグダッド燃ゆ』の他の短歌
日本の黄砂に濁る空の果てむごき戦を人は戦う
少年の日の魔法のランプまかがやく炎の中のシェヘラザード
コーランの祈りの声は砲声のしばらく止みし丘より響く
焼け原に重なるむくろ目も鼻も焼けとろろぎて虚ろの眼下
名も知らず女男を分かたぬむくろ幾つ焼け原の土に埋めゆきたり
かくまでも異教の民を虐ぐる神を許さじと憤り立つ
千年の神の掟に背く者ここ過ぎて暑き砂にさすらへ
ジハードを我戦うと立ち行きて面は幼き者ら帰らず
専制の国といえども若きらは神の戦に潔く死す
岡野弘彦について
岡野 弘彦は、三重県生まれの日本の歌人。國學院大學名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。折口信夫(おりぐちしのぶ)に師事し最後の内弟子。迢空賞を受賞。
岡野弘彦の歌の特徴
初期の作品は神話や民俗学に基づく深い視線と、戦時を体験した生の陰影をくっきりともつ。折口学を根幹、表現のうえでは伝統を守り、古語を蘇(よみがえ)らせながら、古代と現代とが行き交う情念の厚みと官能、また韻律の深さ、言葉の生命力が特徴。