咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
中村汀女の教科書掲載の俳句の切れ字や句切れ、作者の心情を解説、この句の感想も記します。
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咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
読み:せきのこの なぞなぞあそび きりもなや
作者と出典:
中村汀女 なかむらていじょ 句集『春雪』
現代語訳
咳を病む子どもの始めたなぞなぞの遊びはきりがなく続くものだなあ
切れ字と句切れ
切れ字「や」間投助詞
句切れなし
季語
季語は「咳」 冬の季語
形式
有季定型
解説
作者中村汀女は女性の俳人で、この句では、母としてみた家庭生活での子どもの様子とやりとりを表している。
俳句の意味
風邪か何かで咳が止まらないでいる子ども、おそらく、外で遊ぶのを禁じ、寝かせて見守っていたのだろう。
すると、子どもは退屈になってなぞなぞを思いつき、母にしきりになぞなぞを話しかける。
思いつく限りのなぞや、疑問に思うことを次々と問いかけるその問いかけを、子どもやいつまでもやめようとしない。
作者は、その相手をしながら、「きりがないものだなあ」と詠嘆する。それがこの俳句の内容である。
作者の思いと心情
子どもの相手に作者の方がへきえきとしながら、ほのぼのとした母子のやり取りを描かれている。
咳の子どもの心情について言えば、病気の静養の退屈はもちろんあるが、普段は忙しいお母さんがそばにおり、相手をしてくれるので、うれしい気持ちもあるのだろう、
または、母である作者もそれを察しているに違いなく、ほのぼのとした情景が心楽しい。
私自身の感想
咳の子どもの相手をしているお母さんが、自分の気持ちを正直に表しているところに、おもしろみがあります。
中村汀女の他の俳句
とどまればあたりにふゆる蜻蛉(とんぼ)かな
たんぽぽや日はいつまでも大空に
外(と)にも出よ触るるばかりに春の月
中村汀女について
中村汀女(なかむらていじょ)[1900~1988]俳人。熊本の生まれ。本名、破魔子。「ホトトギス」同人として活躍。「風花」を創刊。句集「春雪」「汀女句集」など。