『梁塵秘抄』は平安時代の歌謡「今様」の主に歌詞をまとめた歌謡集です。
『梁塵秘抄』とは何か、時代と編纂者はだれか、「今様」の内容についてお知らせします。
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『梁塵秘抄』は今様の歌謡集
[『梁塵秘抄』とは、平安時代後期の歌謡集で、明治時代に見つかって刊行されました。
先に梁塵秘抄の基本情報をまとめます。
『梁塵秘抄』読み | りょうじんひしょう |
作った人・編纂者 | 後白河院(後白河法皇) |
作られた時期と時代 | 平安時代後期 (12世紀) |
収録された歌謡のジャンル | 今様 |
梁塵秘抄の全巻 | 類推で全20巻 |
『梁塵秘抄』の意味
「梁塵秘抄」の読みは「りょうじん ひしょう」。
「梁塵」そのものの意味は、「梁(はり)の上に積もっているちり。 梁上のちり」のことですが、「梁塵を揺るがす」の言葉から、すぐれた歌との意味です。
つまり、「梁塵-すぐれた歌」その「秘抄」、大切な抄録、記録という意味合いになると思われます。
ジャンルは今様(いまよう)
集められた歌謡は、この時代には他に、催馬楽(さいばら)や風俗(ふぞく)とよばれたものがあります。
梁塵秘抄のジャンルは「今様(いまよう)」と呼ばれた歌謡です。
下に示すように、今の時代の短歌や古典和歌に似た字数と雰囲気のものですが、本来は短歌のような書き表された詩歌ではなくて、演者、主に遊女が実際にその歌詞で歌い、同時に舞いを舞う芸の一つでした。
今様の実際は
今様の歌詞は、記録されたものに間違いはありませんが、実際、特にメロディーや節回しがどのようなものであったのかは、記録の手立てがないので、はっきりとわかっていないところが残念なところです。
憶測での際限も行われていますが、それも含めて、仕草についても想像で再現されるのみとなっています。
『梁塵秘抄』の編纂者は後白河院
この歌謡集を編纂したのは、後白河院、後白河天皇です。
後白河院が、編纂を行った目的は、実際に白河院自身が、乙前(おとまえ)という引退して老いた女性の演者から今様を習ったことに始まります。
後鳥羽院は、そのようにして収集した歌詞の他に、今様の歴史や口伝を記した「口伝集」を10巻にわたって残しました。
後白河院の「今様」への熱中
その中には、院自身の今様に熱中する様子が、院自身の手によって下のように記されています。
昼はひねもすに歌い暮らし、夜はよもすがら歌い明かさぬ夜はなかりき。夜は明くれど戸をあげすして、日出づるをわすれ、日高くなるを知らず。その声小止まず。―『梁塵秘抄 口伝集」十巻より
つまり、昼も夜も歌三昧で、朝になったこともわからないし、日が昇っていることもわからない。「その声小止まず」は途切れることのない鍛錬を思わせます。
そのうち、
喉腫れて湯水通いしも術なかりしかど、構えて歌い出しにき
のとおり、水も飲めないほど、喉が腫れて越えも出なくなってしまったところを、あえて歌ったというのですから熱中のほどがわかります。
後白河院にとって、今様は、仏教的な鍛錬と置き換わった感があるという説もありますが、このような熱中ぶりが、『梁塵秘抄』の採録へとつながったのは間違いありません。
「梁塵秘抄」の現代への伝わり方
『梁塵秘抄』は、意外なことに、見つかったのは明治時代と大変遅いものでした。
見つかったのは、1911年(明治44年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見され、それに続いて、大正から昭和にかけて、佐佐木信綱の校訂による本が明治書院と岩波書店から刊行されたということになります。
その当時それを読んだ文学者や芸術家は大きな影響を受けました。
短歌界のはもちろんのこと、斎藤茂吉や北原白秋、文学者では芥川龍之介や菊池寛などを含め、ひじょうに大きな人が今様を読み平安時代の歌に刺激されたのです。
「今様」とはどんな歌?
そもそもの「今様」とはどんな歌だったのでしょうか。
「今様」の名称にある「今」とは古いものに対して、その時代には「最も新しいもの」であったという意味です。
いくつかのカテゴリーがあり、そのうち法文歌といわれる、仏教系の歌が数がもっとも多くあります。
しかし、仏教とはいっても、踊りがついており、それを歌っていたのは遊女ですから、文学的な堅苦しいものでも、仏典のようなものでもなく、あくまで流行歌寄りの物であったと推測できます。
今様を歌った人は遊女たち
「遊びをせんとや生まれけん」は、実際に歌として歌われていたのですが、歌った人は主には「遊女」(あそび)とか「傀儡子」(くぐつ)とか「白拍子」と呼ばれる遊女たちでした。
その時代には、遊女が芸能を披露するのも生業の一部だったのです。
白拍子とは各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけるという独特の男装スタイルで、今様を舞い踊りました。
能に出てくる静御前は、白拍子の一人で、その服装がうかがえますが、当時は女性が男装をするのが、当世風であったのです。
また人形遣いの「傀儡子」(くぐつ)は、人形を箱の上に置いて操りながら、今様を謡ったともいいます。
今様というのは、そのように演じられたものを皆に見せて、楽しませるためのものでした。
今様の内容と雰囲気
「今様」が娯楽目的の歌であったのは間違いないのですが、神や仏を恐れ敬うというのではなく、しかし敬虔さがにじみ出ているという不思議な性格です。
また、歌っていた遊女の境涯を反映して、華やかであると同時に哀感を感じさせるものが多いのも特徴です。
『梁塵秘抄』の有名で代表的な歌
現在最もよく知られている、有名な梁塵秘抄の今様の歌は、下の3つです。
仏は常にいませども 現ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
―梁塵秘抄26
遊びをせんとや生れけん 戯(たはぶれ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがるれ
―梁塵秘抄359
舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴えさせてん 踏み破らせてん 実に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん
―梁塵秘抄408
それぞれの現代語訳と解説は以下の記事に記載しますのであわせてご覧ください。
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