『梁塵秘抄』の代表的な歌より、「仏は常にいませども 現ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」の現代語訳と解説を記します。
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『梁塵秘抄』について
『梁塵秘抄』とは、後白河院が作った平安時代後期の歌謡集でで、「仏は常にいませども」は、それに収録されている今様というジャンルの歌の歌詞の一つです。
『梁塵秘抄』読み | りょうじんひしょう |
作った人・編纂者 | 後白河院(後白河法皇) |
作られた時期と時代 | 平安時代後期 (12世紀) |
収録された歌謡のジャンル | 今様 |
梁塵秘抄の全巻 | 類推で全20巻 |
※梁塵秘抄解説記事
梁塵秘抄とは 内容解説 後白河院の平安時代の歌謡集
『梁塵秘抄』の有名で代表的な歌
『梁塵秘抄』の有名で代表的な歌は3つありますが、この歌はそのうちの一つと言えます。
仏は常にいませども 現ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
―梁塵秘抄26 法文歌 仏歌
「仏は常にいませども」の現代語訳
仏さまはいつもいらっしゃいますが、目に見えて現れることはないことが、尊いところです。
人の物音がしない夜明けには、ほんのりと夢に現れなさいます。
語句の解説
仏は常にいませども … 意味「仏さまはいつもいらっしゃいますが」
「いませども」品詞分解
・漢字は「在せども」。
・在ます・います…「在り・あり」の尊敬語 意味は「いらっしゃる。 おいでになる」
・「ども」は 「けれども・だが」の意味の逆説の仮定条件
「現ならぬぞ」品詞分解
・現(うつつ)… 意味は「この世に現に存在しているもの」実体として目に見えないことを指す。
・ならぬ…断定の助動詞「なり+ぬ(打消し)」
・「ぞ」は強意の助詞
・「あはれなる」は「あはれなり」の連用形
「人の音せぬ暁に」
人の物音がしないという意味だが、人がまだ起きない、眠りの中にいる時間を示す。
ほのかに夢に見えたまふ
ほのかに…かすかに ぼんやりと
「見えたまふ」の品詞分解
・基本形は「見ゆ」で、意味は「姿を見せる。現れる。来る」
・「たまふ」は尊敬語。
・全体で「お見えになる」「現れなさる」の意味
解説
『梁塵秘抄』の法文歌の仏歌24首の中にある歌。
仏の表れ方を伝える歌は、他にも「仏はさまざまに在せども」19、25など他にも複数あります。
平安時代後期は仏教の信仰が盛んで、新日本古典文学大系の解説だと「経と浄土信仰の一致した天台の教義を母胎とした」とあり、仏が夢や目に見えると、極楽往生できるという考え方があったようです。
この歌は、仏が見えたというだけではなくて、仏の有様と雰囲気を伝えているところが、人々の心をとらえたといえます。
経典との関連
経には、
「我はここにいますれども、もろもろの神通力をもって顚倒の衆生をして近しといえどもしかも見ざらしむ」(如来寿量品)
という箇所があり、それを踏まえて作られています。
また、仏が夢に見えるということも、様々な教えにみられる考え方で、それらを集約して表しています。
この場合の「夢」というのは、眠りながら見る夢だけではなく、仏教の修行中の「観想」が含まれています。
このように、遊女の歌でありながら、仏教を下敷きにしているところが、梁塵秘抄の大きな特色の一つと言えます。
文学者の引用
この今様の歌は、芥川龍之介、菊池寛など文学者に引用をされるという有名な歌です。
梁塵秘抄に影響を受けたことが明らかな北原白秋の短歌には、
この庵(いほ)にまこと仏の坐(いま)すかと思ふけはひに雪ふりいでぬ 「雲母集」
があり、かすかな仏の存在を暗示しているところがあります。
他に、「遊びをせんとや」は以下の記事に記しています。
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梁塵秘抄の本のおすすめ
『梁塵秘抄』の有名な歌がコンパクトにわかりやすく解説されています。
ビギナー向け古典のシリーズ本、どの本もおすすめです。