早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ 葛原妙子の教材にも取り上げられた有名な短歌の大意と表現技法を解説、感想と合わせて記します。
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早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ
現代語での読み:そうしゅんの れもんにふかく ないふたつる おとめよすばらしき じんせいをえよ
現代語訳
春浅い日にレモンに深くナイフを立てる少女よ 素晴らしき人生を得なさい
作者と出典
葛原妙子 くずはらたえこ『橙黄』
句切れと表現技法
・句またがり
・区切れなし
句の終わりに切れている句切れはなく、4句の中間、「をとめよ」が、文の切れ目となる。
・現代語による現代短歌 「をとめ」の「を」は旧字
・3句(6文字)と4句(9文字)に字余り
なお、この歌には擬人法は使われていない。
語句と文法
・立つる…「立つ」の連用形連体形
・得よ…「得る」の命令形
解説
現代の歌人、葛原妙子の長女を詠んだはなむけの短歌。
超現実主義といわれる作者の短歌の中では、わかりやすい歌となっている。
「早春のレモン」の意味
「早春」とは春の初めのこと。季節の始まり、また、4月に向けて入学や就職などの始まりでもある。
結句の「人生」と考え合わせると、この「をとめ」と呼ばれている少女の人生の始まりでもあるだろう。
「早春のレモン」は、詳しくは、」早春の日におけるレモン」とそのレモンに対する少女の仕草ということで省略があるが、爽やかで香り高い「レモン」は年若い少女のイメージと重なる。
レモンの果実は、これから人生の盛りに向かう若い人を象徴するものだろう。
「深くナイフ立つる」の暗示するもの
「レモンに深くナイフ立つる」は文字通りに理解しようとすれば、レモンの中心に向かって、斜めに深く刃を入れた様子ということになる。
通常はナイフを直角にレモンに突き刺すようなことは行わないので、「ナイフを立てる」よりも「ナイフを入れる」方が言い方としてはふさわしい。
この歌ではあえて「立てる」の動詞を選択して、少女の行為を強調し、印象に残るものとしている。
「深くナイフ立つる」は、そのような危うさをも恐れない少女の、若さゆえの大胆さを指していると考えられるだろう。
人生を切り開いていく
この少女は資料によると、作者葛原妙子の長女であるという説がある。
葛原妙子は「幻視の女王」と呼ばれたが、視覚的なとらえ方に他の歌人にはない特色がある。
娘のその様子を見た母は、娘が大人への道を歩んでいることを実感する。
レモンにナイフを思い切りよく刺すようにして切っていく長女が、それと同じようにこれからの自分の人生を切り開いていくように感じたのだろう。
ここではふととらえた長女の仕草から、大人となっていくことを十分に予感した作者が、下句ははなむけとなる言葉、「素晴らしき人生を得よ」の娘に向けた言葉として、一首を終えている。
もっと深く読む
この短歌にあるのは、娘の旅立ちを後押しする母という単純さだけではない。
「レモンにナイフを立つる」という描写には、青春の爽やかさを感じるどころか、どうしても凶々しさが拭えない。
また、「立てる」は「入れる」よりも語感が鋭く、他に字余りの破調が不安定さを醸し出している。
作者葛原妙子は少女が大人になることを予感するとともに、何らかの不安を感じているのではないだろうか。
「素晴らしき人生」という一種決まり文句的な言葉を取り入れている作者の心情には、むしろ投げやりなものを感じる。
作者葛原妙子は少女が自分を離れて大人になっていくことにも、必ずしも喜べないものを感じていたのかもしれない。
そのような想像も生まれる不思議な印象を与える一首である。
この歌を読んだ私自身の感想
「早春のレモン」は爽やかなイメージながら、ざっくりとレモンの中心に向けてナイフを差し込むような「ナイフを立つる」の表現はどきりとさせられます。「素晴らしき人生」そのように大胆に進んでいってほしいという母親である作者の願いが反映されていると思います。
葛原妙子の他の代表作短歌
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて 『葡萄木立』
奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり
わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる
とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ
あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇
疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ『朱靈』
葛原妙子について
1907(明治40)年東京都文京区に生まれる。1939年「潮音」に入社。1949年「女人短歌会」創立メンバー。歌集に『橙黄』『縄文』』『葡萄木立』『朱靈』(第五回迢空賞を受賞)他。
前衛短歌の塚本邦雄に「幻視の女王」と呼ばれ、視覚的要素、破調に特徴がある。
第五回迢空賞を受賞。随筆集に『孤宴』がある。