『閑吟集』の有名な歌一覧 意味と現代語訳  

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『閑吟集』の有名な歌一覧 意味と現代語訳

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『閑吟集』は室町時代の和歌とは違う歌謡集です。『閑吟集』の有名な歌謡と恋の歌の現代語訳と意味を記します。

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閑吟集とは

平安中期から室町時代に流行したのは和歌だけではなく、もっと大衆的な歌謡があります。

『閑吟集』はそのような歌謡を集めた最初の歌集です。

和歌以外の歌は他にも、催馬楽(さいばら)、神楽歌(かぐらうた)、梁塵秘抄で有名な今様などがあり、閑吟集の小唄もその一つです。

 

梁塵秘抄については

梁塵秘抄とは 内容解説 後白河院の平安時代の歌謡集

遊びをせんとや生まれけむ『梁塵秘抄』の遊びの本当の意味

 

閑吟集の特徴

『閑吟集』に収録された歌は311首。室町時代、1548年に成立しました。

集められたのは座頭などの芸能者が宴席などで詠った歌とされています。

自由な口語調で作られた小歌で、実際に一節切り、尺八の一種である縦笛によって伴奏され、口謡として歌われたものです。

庶民の息吹を伝えるような内容が多く、恋愛をうたう抒情的な作品が多数含まれています。

閑吟集の作者

閑吟集の作者ははっきりしていませんで、世捨て人である「桑門 そうもん」と呼ばれた僧侶が作者となっていますが、室町時代後期の連歌師である宗長が作者あるいは、編纂した人であるという説もあります。

閑吟集で有名な歌を以下にご紹介していきます。

現代語訳の一部は、山本健吉『日本の恋の歌』を参考にしています。

 

「一期は夢よただ狂え」の小歌

世の中はちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
なにともなやなう なにともなやなう 浮き世は風波の一葉よ(50)
なにともなやなう なにともなやなう 人生七十古来稀なり (51)
ただ何事もかことも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や (52)
夢幻や 南無三宝 (53)
くすむ人には見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がほして (54)
なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)

49-55番として記されている部分を、ひとまとまりとして記します。

現代語訳

原文からの意訳を示します。

この世の中はちらりと瞬くまに過ぎ去ってしまう ちらりちらりといわんばかりに

どうしようもない どうしようもない 浮世は風に吹かれ波にもまれる一枚の葉のようだ

どうしようもない どうしようもない 人生は短く古来から人は70歳も生きることは稀なのだ

ただ何事も夢幻の水の泡のようなもの。笹の葉に露が置かれるわずかな間なのに思い通りにならない世の中なのだよ

夢幻 なむさん、救っておくれ

きまじめな人には見えない 夢のまた夢のようにはかない世にあって正気な顔をしているが

何になるだろう、まじめくさってみたところで 一生は夢だ ただ狂えばいい

 

語句の解説

・ちろりちろり…[副]動きがわずかであるさま。また、瞬間的であるさま。ちらり。

「ちらりちらり」の意味で調子を取って歌ったと思われる。

・南無三宝…なむさんぽう は、仏に向かって「助けてくれ」という言葉。「なむさん」と使われることが多い。

・くすむ…現代語では「色がさえない」の意味で使われるが、古語では「きまじめな態度をとる。 重々しく構える。」の意味。

・うつつがほ…「うつつ」は「現」、「「かほ」は顔のこと。正気を保った顔、普段の顔のこと。

解説

閑吟集で最も有名な句「一期は夢よ ただ狂へ」を含む歌。

「一期は夢よ ただ狂へ」はルパン三世の名句としても取り上げられ、多くの人が目にするところとなりました。

内容は、世の中のつまらなさ、はかなさに触れ、享楽によって紛らわそうというのが内容です。

宴席での歌ですので、まじめがらずに大いにこの場を楽しみましょうという意味ももちろんあります。

 

「主ある俺をなんとせうか」の小歌

扉のかげで 目をとろめかす。

主ある俺をなんとせうか、せうか、せうか、せう。

90番

現代語訳

扉の陰から、うっとりした目で私を見ているのね。

決まった男のある私をどうするというの。さあ、どうするの、どうするのよ。

解説

「俺」は女性が自分にを表す代名詞として使われており、「私」と同じ。

歌の内容は、扉の陰から色目を使っている男性への反応です。

「主ある」とは決まった男性がいるという意味ですが、おそらく魅力ある男性の目つきに心の動揺を「せうか、せうか、せう」の繰り返しで伝えています。

「せうか」は文語の表記ですので、現代語での読みは「しょうか」です。

「せうか、せうか、せう」が相手に言ったことであったとしたら、「どうするの」といって相手をあおっているのでしょう。

その続きは、次の歌です。

 

「歯型のあれば顕わる」色事の歌

誰(た)そよ、お経忽(きょうこつ)。主あるを、締むるは、喰ひつくは。よしやじやるるとも、十七八の習ひよ、十七八の習ひよ。そと喰いついて給うれなう。歯型のあれば顕わるる。

前の90番の続きの91番の歌。

現代語訳

誰ですか。かるがるしいこと。主のある私を抱きしめるのは、食いつくのは。いいでしょう、私も17、8歳の女ざかりならば仕方がない、世の常よ。(繰り返し)そっと噛んでくださいよ。歯型がついたらわかってしまうといいますから。

解説

上の歌と同じ、決まった相手のいる遊女の、主人とは違う相手との色事の歌。

「よしやじやるるとも」ともは「よしや 戯るるとも」で、相手への肯定というより、自分への言い訳のようにも聞こえます。

17、8というのですからまだ若い女性というシチュエーションです。お茶目でおきゃんな女性像が浮かびます。

浮からかいたよ よしなの人の心や 

この続き92番。

意味は「気分がすっかり浮ついてしまった」あるいは「うっとりしてしまった、仕方のない人ねえ」と逢瀬の後の女性の気持ちが率直に述べられています。

いずれの歌も直截な表現に驚きますが、このような内容だけに、閑吟集の歌謡は庶民に流行したのです。

 

「湊へ船が入る」の歌

又湊へ船が入るやらう。空艪(からろ)の音が、ころりからりと。

137番

現代語訳

また港に船がはいってくるのだろう。空艪の音がころりからりと聞こえてくるよ。

解説

空艪というのは、浅く水をこぐ艪のことだそうです。この時代の遊女は船着き場で船乗りの客を待っていたとのことです。

梁塵秘抄にもこのような歌がありますが、どこか哀感も漂っています。

「からりころり」の擬音は歌としても、魅力的なフレーズです。

作者はやはり遊女自身で、そこからの採録のように思えます。

 

閑吟集の恋の歌

閑吟集の8割を占めるのが恋愛の歌です。

そのうち、よく知られているものを選んでご紹介します。

「あまり言葉のかけたさに」の歌

あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ

235番歌

現代語訳

恋しいあのお方に言葉をかけたいばかりに、「あれをごらんなさいよ、空を行く雲の早いこと」と言ってしまったよ

解説

男性、または女性が、好もしい相手に何とか話しかけようと思って、考えついたことを口にした場面です。

出会ったばかりの男女なのでしょう、やっと声をかけられそうな場面になるのですが、とても思いは告げられない。

なので、目に見えることをとりあえず言ったのだが自分としても間抜けなことなので、その後悔を上のように歌います。

恋の歌としてはあどけなく、上品でもあり現代にも通じそうな普遍性があります。

 

下にもう一つ、恋の歌。

 

「あまり見たさに」の歌

あまり見たさに、そと隠れて走(は)して来た。まづ放さいなう。放して物を言はさいなう。そぞろいとほしうて、何とせうぞなう。

 

現代語訳

あまりにもあなたに会いたいので、そっと隠れながら走ってきたのですよ。まあ、まず放してください。放してものを言わせてくださいよ。やたらにあなたが愛おしくて、どうしたらいいのでしょうかねえ。

解説

恋人の男性でしょう、相手に会いに走ってきた女性の肉声がそのまま聞こえてくるような歌です。

話をするまもなく、相手を抱きしめる男の様子が「まず放さいなう」にわかります。

男女の逢瀬をこれほど生き生きと表した歌は、歌謡ならではでしょう。臨場感あふれる恋の場面の再現なのです。

 

思へど思はぬ振りをしての歌

思へど思はぬ振りをしてしゃつとしておりやるこそ底は深けれ

87番

現代語訳

恋をしていても思っていないふりをして、しゃきっとしているほど、恋心は深いものだ

解説

女性からみた男性の理想像を詠んだものと解釈されているそうです。

 

 

 




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