伊能忠敬が地図日記に記した和歌「七夕の会瀬の海に寄る波の寄るとはすれど立ちかえりつつ」  

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伊能忠敬が地図日記に記した和歌「七夕の会瀬の海に寄る波の寄るとはすれど立ちかえりつつ」

2023年4月19日

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伊能忠敬がその地図を記した日記に、茨城県の海岸にちなむ和歌を記した箇所があります。

今日 4月19日の 日めくり短歌は地図の日にちなみ、 伊能忠敬が記した 会瀬の和歌についてお知らせします。

伊能忠敬の地図の日

地図

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今日 4月19日は「 地図の日」。

1800年(寛政12年)のこの日、伊能忠敬(いのう ただたか、1745~1818年)が蝦夷地の測量に出発しことから 制定されました。

忠敬は俳諧、短歌、狂歌、漢詩などに造詣が深く、忠敬日記にもいくつかの記載があることがわかっています。

伊能忠敬の父は俳人

伊能忠敬の父方は現在の千葉県で俳諧の家筋、 伊能忠敬の 父、貞恒も 俳人であったことが関係すると思われます。

伊能忠敬が地図の 日記に書き込んでいた 和歌は下の歌です。

七夕の会瀬の海に寄る波の 寄るとはすれど立ちかえりつつ

作者は中務(なかつかさ)親王。中古三十六歌仙のひとりです。

この歌にある「会瀬の海」とは茨城県日立市にある海岸で、 測量の折、宿所の床の間の掛け軸にかけられていた歌 だそうです。

それは伊能忠敬の日記、といっても文章ではなく地図なのですが、そこに書き込まました。

同時に 和歌の会瀬が 能因法師の歌学書「能因歌枕」や連歌師月村斎宗の「藻塩草」に「常陸国会瀬」としてに出てくる地名であると記されました。

忠敬にはそれらの知見があったことがわかります。

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七夕の会瀬の海に寄る波の寄るとはすれど立ちかえりつつの意味

この歌の意味は 七夕の引き潮の時にだけ現れる波が、浜に寄せては引き返すという様子を詠ったものです。

「寄るとはすれど立ちかえりつつ」は、波が繰り返し寄せる様子と、男女の恋愛の心情を重ねていると思われます

会瀬の地名

会瀬という地名は、もともと七夕伝説にちなむ伝説があり、元は「逢瀬」であったようです。

「七夕磯」は会瀬漁港の堤防先に引き潮の時にだけ現れるとされた潮とその海岸のこと。

この地にはその波に乗ってまさに逢瀬を楽しむ男女の姿が浮かび上がったものが見えるという、ファンタジックなエピソードがあります。

七夕であるので、その男女はもちろん彦星と織姫で、この会瀬の浜でそれが見えるという伝説がこの歌の元となってリうのです。

現在では、会瀬の浜はややひなびた感じのする静かな海岸となっていますが、このようなエピソードがあったのですね。

会瀬の場所

今日は「地図の日」にちなみ、伊能忠敬が記した和歌をご紹介しました。




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