海原の沖つ縄海苔うちなびき心もしのに思ほゆるかも 万葉集のこの歌は植物学者の牧野富太郎が「万葉集の縄ノリ」として解説をした和歌です。
和歌の現代語訳と解説、牧野富太郎の解説した部分と合わせてお知らせします。
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海原の沖つ縄海苔うちなびき心もしのに思ほゆるかもの解説
現代語での読み:うなはらの おきつなわのり うちなびき こころもしのに おもおゆるかも
作者と出典
・作者は不詳
・万葉集11巻2779
現代語訳
海原の水底に生えている縄海苔が揺れなびくように、一筋に心もしおれ、あなたが思われてなりません
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万葉集の原文
海原之奥津縄乗打靡心裳四怒尓所念鴨
語句
- 沖つ・・・・「沖の」に同じ。「つ」は「の」の意の格助詞。意味は「沖の白波」
- 縄のり・・・海藻の一種でツルモとされている。「うちなびく」の序詞
※序詞については
序詞とは 枕詞との違いと見分け方 和歌の用例一覧
- うちなびき・・・心が、ある方になびく。「うち」は接頭語で、動詞に付いて、語調を整えたり下の動詞の意味を強める。
- しのに…草木のしおれなびくさまから、心のしおれるさまなどを表わす語。 しおれなびいて。 しおれて。
- 思ほゆ…「ゆ」は自発を表す 「思われる」の意味。「思ほゆる」は連用形。「かも」は詠嘆の終助詞
牧野富太郎の解説
牧野富太郎がこの歌に解説した部分は、この植物の「縄ノリ」についてです。
縄ノリというのは、「海そうめん」という海藻のことで、ふのり、モズクを長くしたような形状をしています。
牧野氏はそれについて
このナワノリというのは蓋し褐藻類ツルモ科のツルモすなわち Chorda Filum Lamour. を指していっているのであろうと信じている。―出典:「牧野富太郎 植物一日一題」
と述べています。
「縄ノリ」の最初の説
というのも、万葉集の当初の解説だと
ナハノリは縄状の海藻をいうが、現在の何にあたるか不明。べにもずく科のうみぞうめん、またはつるも科のツルモとする説がある。(―出典:小学館日本古典文学全集『万葉集』昭和48年刊)
となっていたため、牧野氏が海そうめんではなく、後者の「ツルモ」説を推したということのようです。
縄ノリがツルモ説の根拠
その理由として牧野氏は
このツルモという海藻は、世界で広く分布しているが、我が日本では南は九州から北は北海道にいたり、太平洋および日本海の両海岸で波の静かな湾内に生じ、その体は単一で痩せ長い円柱形をなし、その表面がぬるついており、砂あるいはやや泥質の海底に立って長さは三尺から一丈二尺ほどもあり、太さはおよそ一分弱から一分半余りもあって、粗大な糸の状を呈し、上部は漸次に細ってついに長く尖っている。地方によってはこれを食用に供している。そして体が極く細長いので、これを縄ノリとすれば最もよく適当している。このように他の海藻にくらべて特に痩せ長い形をしているので、海辺に住んでいた万葉人はよくこれを知っていたのであろう。ゆえに上のような歌にも詠み込まれたものだと察せられる。このように長い海藻でないとこの歌にはしっくりあわない。(同)
と植物の分布とその形状を様子を詳細に述べた上で、ツルモであるとする理由を説明しているのです。
万葉集の他の縄ノリの歌
万葉集には他にも、3663 に次の歌もあり、こちらを牧野氏が引用しています。
わたつみの沖(おき)つ縄のりくる時と妹(いも)が待つらむ月は経(へ)につつ
意味:海の縄ノリのように妻私を恋しく待っているだろう。何か月振りなので。
もう一首3080の歌。作者不詳
わたつみの沖に生ひたる縄海苔の名はかつて告(の)らじ恋は死ぬとも
意味:沖に生えている縄ノリのように心はあなたを思っているけれども、思いは明かさない。たとえ恋が実らずこの身が死のうとも
牧野 富太郎氏について
牧野富太郎 まきのとみたろう
高知県佐川町生
1862年4月24日- 1957年1月18日
牧野 富太郎は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。位階は従三位。 「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。1957年没。死後文化勲章受賞―出典:フリー百科事典wikipedia 牧野富太郎
牧野富太郎の本
アマゾンのベストセラー。今回の牧野氏の解説が乗っているのがこちらの本。
牧野富太郎氏による植物の随筆100題。
他にも、牧野富太郎の生涯が小説仕立てで読めます。