能因法師は平安時代中期の僧侶であり歌人、で中古三十六歌仙の一人です。
百人一首で有名な能因法師の代表作の和歌をご紹介します。
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能因法師とは
能因法師は、平安時代中期の僧侶・歌人の一人。歌学書を記すなど私道にも貢献、各地を旅し、多くの和歌作品を残しておりその作品は百人一首にも採られています。
能因法師の和歌代表作
能因法師の代表作品として知られているものは、百人一首に採られた下の作品です。
嵐吹くみ室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり
読み:あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり
作者と出典
能因法師 百人一首 69
現代語訳
嵐が吹き荒れて散る三室の山の紅葉は川を染める錦であるよ
解説
嵐によっていっせいに散る紅葉が川を染める様子を、比喩「錦のようである」と言わずに、「錦である」と述べています。
詳しくは
嵐吹くみ室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 能因法師
※竜田川の錦は他に
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを
読み:こころあらん ひとにみせばや つのくにの なにわわたりの はるのけしきを
作者と出典
能因法師 後拾遺集43
現代語訳
情趣を理解するような人に見せたいものだ。 この津の国の難波あたりの素晴しい春の景色を
解説
こちらも能因の代表作の一つ。
「心あらむ人」は、もののあはれを解する人という意味であり、また和歌を理解してくれる相手も指します。
津の国の難波は海辺の干潟で、美しいところとして当時の人には有名であった場所のことで、他の和歌にもたくさん詠まれています。
例:
津の国の難波の春は夢なれや 蘆の枯葉に風わたるなり
津の国の こやとも人を 言ふべきに ひまこそなけれ 葦の八重葺き
※この歌の解説
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを 能因法師
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
読み:みやこをば かすみとともに たちしかど あきかぜぞふく しらかわのせき
作者と出典
能因法師 後拾遺集 羇旅
現代語訳
都を春の霞が立つとともに出発したが 早くも秋風の吹く季節となってしまった、白河の関に着く頃には
解説
法師が白河の関に下向した時の旅と季節の移り変わりを詠んだ歌。
「立つ」は「霞が立つ」と「旅にたつ」の両方に通じる掛詞である他、「霞」の縁語でもあります。
ただし、実際にはこの旅は行われなかったという説もあります。
詳しい解説
参考:
掛詞の和歌一覧
武隈の松はこのたび跡もなし千年を経てや我は来つらむ
読み:たけくまの まつはこのたび あともなし せんねんをえて われはきつらん
作者と出典
能因法師 後拾遺集 羇旅
現代語訳
武隈の二木の松は今回の旅ではその跡すらない。長い時を経て(育った頃に)私は再び見に来よう
解説
「みちの国にふたたび下りて後のたびたけぐまの松も侍りざりければよみ侍りける」という詞書がある歌。
武隈の松は古くから和歌に詠まれている歌枕の一つで、松尾芭蕉も訪れています。
2本の松であることが特徴で、現在も根元から日本に分かれた形となっています。
この松は実際に宮城県岩沼市に植え継がれていますが、能因が訪れた際にはたまたま枯れてしまった時であったのかもしれません。
能因法師とは
西暦988年-1051年。平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。中古三十六歌仙の一人。
『後拾遺和歌集』に31首、勅撰和歌集に67首が入集している。