斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『あらたま』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。
『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。
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しづかなる港のいろや朝飯の白くいき立つを食ひつつおもふ
歌の意味と現代語訳
静かな港の色だなあ。朝飯の白く湯気が立つのを食べながら眺めて思う
出典
『あらたま』大正6年 20長崎へ
歌の語句
いろや…「や」は詠嘆「…だなあ」
息たつ…湯気が立つこと
表現技法
2句切れ
鑑賞と解釈
作者は長崎浦上にある長崎医学専門学校の教授に任じられて、長崎のみどりや旅館というところに住んだ。長崎に住むことによって、歌に専念できないようになり、「一挫折をきたしている」と作者は回想している。
みどりや旅館は高い崖の上から港を見渡す場所にあり、作者はこの眺めを気に入っていたようだ。
この歌は、到着後の次の朝に作ったもので、一連を含めて旅情を感じさせるものとなっている。
作者の解説
緑屋旅館の二階からは、港一体とそれを囲む低山の一部とを見渡すことができる。船舶がかずかず泊てて、いかにも物静かで美しい風光である。「しづかなる港の色や」という詠嘆はそれにもとづいている。(『作歌四十年』斎藤茂吉)
佐太郎の評
短歌は単純を要求するから、入海になっていて、水の静かなことだけをいった上句が簡潔でいい。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
20 長崎へ
いつしかも寒くなりつつ長崎へわが行かむ日は近づきにけり
目の前のいらかの上に白霜の降れるを見ればつひに寂しき
ひたぶるに汽車走りつつ富士が根のすでに小(ちひさ)きをふりさけにけり
おもおもと雲せまりつつ暮れかかる伊吹連山に雪つもる見ゆ
西ぞらにしづかなる雲たなびきて近江の海は暮れにけるかも
差が駅を汽車すぐるとき灰色の雲さむき山をしばし目守れり
さむざむとしぐれ来にけり朝鮮に近きそらよりしぐれ来ぬらむ
長崎の港の色に見入るとき遥けくも吾(あ)は来りけるかも
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺のゐらかにふる寒き雨
しらぬひ筑紫の国の長崎にしばぶきにつつ一夜ねにけり
しづかなる港のいろや朝飯の白くいき立つを食ひつつおもふ
朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし並みよろふ山