伊藤左千夫には水害を詠んだ短歌があります。
『野菊の墓』で有名な伊藤左千夫は、小説家になる以前から、正岡子規に師事したアララギ派の主要な歌人です。
職業は牛乳搾取業、本所区茅場町の住まいが何度も水害にあいました。
今日は伊藤左千夫の水害の短歌をご紹介します。
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伊藤左千夫と水害
伊藤左千夫は、九十九里浜の近くの千葉県房総の出身。その後、東京の本所区茅場町に移り住み、牛乳搾取業を生業にしました。
水害にあったのは、その地でおいてで、明治33年、40年、43年の計3回、大きな水害に遭ったことがその度短歌に詠まれています。
なお、伊藤左千夫については下の記事をご覧ください。
「こほろぎ」最初の水害
『伊藤左千夫歌集』に収められている、最初の水害の歌は「こほろぎ」と題する一連です。
明治33年に詠まれたもので、当時の「心の花」に掲載されました。
短歌を始めて早い時期のもので、習作期の試みも読み取れます。
うからやから皆にがしやりて独居(ひとりを)る水(み)づく庵(いほり)に鳴くきりぎりす
「うからやから」の「うから」は家族のこと。「水づく」漢字は「水漬く」、というのが水に浸かっている家の様子を表す言葉、動詞です。
牀(ゆか)のうへ水こえたれば夜もすがら屋根の裏べにこほろぎの鳴く
これをみると、床よりも上まで水が上がってきてしまったことがわかります。「夜もすがら」は夜じゅうずっと、の意味です。
くまも落ちず家内(やぬち)は水に浸ればか板戸によりてこほろぎの鳴く
「浸ればか」は「浸ったので、そのためだろうか」という意味でしょう。
一連の他の作品:
只ひとり水(み)づく荒屋(あれや)に居残りて鳴くこほろぎに耳かたむけぬ
牀(ゆか)の上に牀をつくりて水づく屋にひとりし居ればこほろぎのなく
ぬば玉のさ夜はくだちて水づく屋の荒屋さびしきこほろぎのこゑ
物かしぐかまども水にひたされて家(や)ぬち冷(ひやや)かにこほろぎのなく
まれまれにそともに人の水わたる水音(みのと)きこえて夜はくだちゆく
さ夜ふけて訪(と)ひよる人の水音に軒のこほろぎ声なきやみぬ
水づく里人の音(と)もせずさ夜ふけて唯こほろぎの鳴きさぶるかも
「水籠十首」から 明治四十年 二度目の水害
明治40年の時も再度の水害に遭います。
水やなほ増すやいなやと軒の戸に目印しつつ胸安からず
「や」は詠嘆の助詞。「や」の音調が見事な効果をあげている。
目印というのは、水がこの辺までということでつけたもので、それより水が上がったときの用意のため。
「安からず」は不安に思う、胸騒ぎがするというような心境。
西透きて空も晴れくるいささかは水もひきしに夕餉うましも
「西」は西空のこと。いくらか水が引いて、やや安心し、夕飯がうまくなったという。
ものはこぶ人の入り来る水の音(と)の室(しつ)にとよみて闇響きすも
土屋文明説だと結句は「闇響かすも」。
「とよみて」は「とよむ」の動詞。「ひびく」の意味です。
物皆の動(うごき)をとぢし水の夜やいや寒々に秋の虫鳴く
上句「物皆の動をとぢし」が面白い把握。
家具も何もかも水に浸かっているのである。
「いや」は「ああ」と同じような感嘆詞。
一つりのらんぷのあかりおぼろかに水を照らして家の静けさ
洪水の時なので、灯りはランプがひとつだけ。
それが水の上におぼろげな光を反射する。
灯(ひ)をとりて戸におり立てば濁り水動くが上に火かげただよふ
家の内と外の水の反映を捉えたもの。
身を入るるわづかの床にすべをなみ寝てもいをねず水の音(と)もせず
「すべをなみ」は「なすすべがない」。
「寝てもいをねず」は「寝てもいられないが」。
がらす戸の窓の外(と)のべをうかがへば目の下水に星の影浮く
家の外にも水が満ちて、夕明かりがする。
庭のべの水づく木立に枝たかく青蛙鳴くあけがたの月
土屋文明は「青蛙鳴くあけがたの月」が「ひじょうに清新な感に満ちている」として、この歌がいちばんおもしろいと言ったそうです。
空澄める真弓の月のうすあかり水づく此夜や後も偲ばむ
弓張り月(ゆみはりつき)ともいう、半月のこと。洪水のこの夜を後で思い出すだろうとのことですが、高田浪吉は「もしかすると作者の心持の上に重大なあきらめがあったのかもしれぬ」というのも鋭い見方でしょう。
水害の疲れ 明治43年 最後の水害
次の3度目の水害が最後の水害です。
水害の疲れを病みて夢もただ其の禍(わざは)ひの夜の騒ぎはなれず
左千夫はこの後から神経痛を病んでしまったといいます。
おそらくこの一連のタイトル通り「水害の疲れ」のためで、肉体的な肥料以上に、心労が大きかったためでしょう。
水害ののがれを未だ帰り得ず仮住の家に秋寒くなりぬ
仮住みということ、「未だ帰り得ず」(まだかえれない)を見ると、それ以前よりも大きな被害だったようです。「未だ帰り得ず」(まだかえれない)
四方(よも)の河溢(あふ)れ開けばもろもろのさけびは立ちぬ闇の夜の中に
四方とは「四つの方角」から、すべての方向と思っていいでしょう。
この歌には水害のすさまじさ、怖さが強く表されています。今までの水害の歌には見られなかったことです。
針の目のすきまもおかず押し浸す水を恐ろしく身にしみにけり
隙間がちょっとでもあれば水が押し入ってしまう恐ろしさが、三度の水害でも今度ばかりは「身にしみにけり」(しみたのであったよ)と詠んでいます。
この水にいづこの鶏と夜を見やれば我家の方(かた)にうべやおきし鶏
闇ながら夜はふけにつつ水の上にたすけ呼ぶ声牛叫ぶ声
下句について斎藤茂吉は、「その当時スバル辺りの句法の繰り返し」の流行を指摘しています。
まとめ
生涯で3度の水害に見舞われた伊藤左千夫。牛舎に牛を育てながらの被災で、さぞたいへんなことだったと思います。
歌を見てみると、普段は平穏な水が、あふれたときの恐ろしさは、今も昔もさほど変わりません。
時代がこんなに進んでも、自然の前に人は無力なのだということを改めて知らされる思いです。