新元号「令和」の由来する万葉集の「梅花の歌32首」の序文作者、大伴旅人の短歌代表作を引き続きご紹介していきます。
この記事では、大伴旅人の相聞、恋愛の短歌をご紹介します。
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大伴旅人の相聞他『万葉集』
大伴旅人の相聞とは言っても、太宰帥を務めたのも、旅人が60歳を過ぎてからのもので、万葉集に旅人の歌はいずれも晩年のものとなります。
現在の60歳とは違って、平均寿命の短い当時のことですから、今以上に高齢と考えられていたと思われ、旅人自身も「帥老」と自分を読んでいます。
しかし、それでも、親しい女性との別れの歌、そして、伝説からの想像で詠んだ相聞の短歌の贈答歌が残っていますので、それらの歌をご紹介します。
大伴旅人「松浦河に遊ぶ短歌」
天平2年(730年)の春に、肥前松浦郡に遊覧した折の作品です。
大伴旅人たちが松浦川で神仙のように美しい鮎釣りの娘たちに出会い、ことばを交わすうち日が暮れて、別れる際に互いに心情を吐露する歌を交わし合ったというものです。
「神仙」というのは、仙女のことで、あるいは実際に出会った女性がいたのかもわかりませんが、歌を交わしたということを含めて、虚構の物語です。このようなアイディアも、万葉集には画期的なものと言っていいでしょう。
一連は序文と短歌11首とで構成され、部分的には作者に諸説ありますが、大伴旅人作と言われています。
遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手元を我こそまかめ
読み:とおつひと まつらのかわに わかゆつる いもがたもとを われこそまかめ
5巻.857 作者 娘子 (大伴旅人)
現代語訳
松浦の川に若鮎を釣っているあなたのの腕を、私こそ枕にしよう
神仙の娘に贈った首の内の3首目、球根の歌。
自分こそあなたの夫となろうと呼びかける歌です。
それに架空の娘が答えるところから、贈答歌の一連が始まります。
春されば我家(わぎへ)の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
読み:はるされば わぎえのさとの かわとには あゆこさばしる きみまちがてに
5巻.859 作者 娘子(不詳)
現代語訳
春になると私の家のある里の渡り場には小鮎が飛び跳ねます。あなたを待ちかねて
解説と鑑賞
この歌は作者は「娘子」となっていますが、旅人作。万葉集でも、優れた恋の歌として、よく引かれる歌です。
自分の恋しい相手に会いたい気持ちを、春という季節、そして、鮎の子にたぐえた比喩がさわやかな印象です。
「さ走る」の「さ」は接頭語。
松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ
読み:まつらがわ ななせのよどは よどむとも われはよどまず きみをしまたん
5巻.860 作者 大伴旅人
現代語訳
松浦川の七瀬の淀は淀もうとも、私はためらわずに、君を待ち続けます
解説と鑑賞
「七瀬」は数多くの瀬、流れの浅瀬のことで、恋の歌にみられる「淀む」というのは、逡巡して関係を中断するという意味がありました。
また「淀む」は、流れのはやい川が「無常」を表すのに対し、「不変」の象徴でもあります。
あちらの瀬もこちらも淀むまで、お別れしてから時間がたったとしても、私のあなたを思う心は変わらず待ち続けます、という表明です。
この場合の「君」とは男性の敬称なので、架空の仙女が自分にそう歌を返してよこしたという、架空のシチュエーションの元での作品です。
「君をし」の「し」は強調の助詞で、その前の歌、「我こそ」の「こそ」に呼応するものです。
大伴旅人「水城での別れの歌」 贈答歌
大伴旅人が、大宰府から上京するにあたって、大宰府にあった「遊行女婦」児島が贈った歌と旅人との贈答歌です。
「遊行女婦」というのは、酒席の接待役などをする「職業的遊女」のような女性であったと言われています。その遊女が、都へ帰る人に歌って聞かせたものもあるようです。
凡(おほ)ならばかもかもせむを恐(かしこ)みと振りたき袖を忍びてあるかも
読み:おおならば かもかもせんを かしこみと ふりたきそでを しのびてあるかも
5巻.860 作者 大伴旅人
現代語訳
身分が並みの方であったなら、あんなふうにもこんな風にも別れを惜しむことを表したいと思いますが、高貴な身分の方なのでつつしみ、袖を振りたいのもこらえています
解説と鑑賞
この歌には説明がついており、それには
「卿を送る府吏の中に、児島という遊び女がいた。その娘は別れを悲しみ、再会もかなわないだろうことを嘆き、涙を拭いて、袖を振る歌を歌った」
とあります。
児島という名前の娘子が、旅人を見送りに来たわけですが、何しろ旅人は大宰府において、一番高い身分の役職です。それゆえ、袖を振ることもできませんが、はばかることがなければ、大いに袖を振りたい気持ちなのです。
この時代において、「袖を振る」ということは、互いの魂の交感、一体化を希求する呪術的な行為とも言われています。
また、「袖を振る」ことが「相手の出立を止める」とする意味でもあったようですが、旅人が都に帰るのは官命であり、いずれにしても、児島はそうしてこらえているという気持ちを歌に表しているのです。
そして、この歌に答える旅人の歌が、下の歌です。
ますらをと思へる我や水茎の水城の上に涙拭わむ
読み:ますらおと おもえるあれや みずぐきの みずきのうえに なみだぬぐわん
5巻.860 作者 大伴旅人
現代語訳
心たけき男と自ら思っているこの自分が、水城のほとりで、涙をぬぐうことであろうか
解説と鑑賞
「ますらお」というのは、心も身も理想的な男性、成人した立派な男性のことをいいます。
さらにここでは、上の児島の歌の「凡ならば」を受けた「官人」という意味です。
「水茎」というのは、水城にかかる枕詞で、水城は、敵の防御のために大宰府近くの築かれた土塁と堀のこと。
「上」は「え」と読み、「辺」とも書きます。「窓べ」などと同じく、「そのあたり」という意味。
別れがたい気持ちを述べる娘に対して、押し隠している気持ちを表す内容ではありながら、しかし、「ますらお」すなわち「官人」としての自分を強く意識しています。
そしてその上で、離別の涙を流してしまう、自分の「公私」の「私」の姿をとらえ、重層的な自意識を表します。この時代においては、複雑な主題であるといえるでしょう。
この一つ前の歌は「大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも」と、地名と娘の名前を対比して詠み込んでもおり、大和においても、あなたのことを忘れないと表すなど、単なる別離に際しての挨拶の歌というよりは、旅人の強い思いが表されていると思われます。
万葉集の大伴旅人の歌はいずれも60歳を過ぎてからのものですが、これらの架空の「物語」を含めた相聞の短歌を、どうぞ合わせて鑑賞なさってみてください。