験なきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし 大伴旅人「酒を讃むる歌」  

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験なきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし 大伴旅人「酒を讃むる歌」

2019年4月12日

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「験なきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」の歌に始まる「酒を讃むる歌」は大伴旅人の短歌代表作の一つです。

万葉集の大伴旅人「酒を讃むる歌」を現代語訳、解説と鑑賞をします。

 

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大伴旅人「酒を讃むる歌」全13首『万葉集』

大伴旅人の「酒を讃むる歌」「万葉集」の中でも独創的な内容のものです。

一首ずつの解説を記しますのでご一緒に読んでいきましょう。

「酒を讃むる歌」代表作3首

13首の中で、特に味わっていただきたいもの、よく引用される秀歌と佳作を3首先にあげておきます。

験(しるし)なきものを思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし 338

なかなかに人とあらずは酒壷に成りにてしかも酒に染(し)みなむ 343

この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ 348

 

験なきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

読み:しるしなき ものをおもわずは ひとつきの にごれるさけを のむべくあるらし

338  作者 大伴旅人

現代語訳:

何の甲斐もない物思いをするくらいなら、一杯の濁り酒を飲むべきであるらしい

解説:

この歌は、全13首の総論です。「験なきもの」とは、妻を亡くした作者の「もの思い」とも思われます。

「濁れる酒」というのは、上等なお酒のことではなく、白濁した下等な酒、のちに云う「どぶろく」のようなものだそうです。

一連は、中国の酒の徳を説く詩に倣って、作られたようです。「らし」というのは伝聞なので、「そこではこのように言っている」という意味なのでしょう。

「飲むべきだ」ではなくて、のようだ、そういっている」という、やや消極的な同意なのですが、読む人に語りかけるような、親しみのある口調のようなものが感じられます。

 

酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古の大き聖の言の宣しさ

読み:さけのなを ひじりとおおせし いにしえの おおきひじりの ことのよろしさ

339 作者 大伴旅人

現代語訳:

酒の名前を聖人と名付けた、古の大聖人の言葉の適切さよ

解説:

禁酒令の行われた魏の時代に酔客たちが、にごり酒を「賢者」、清酒を「聖人」呼んだことによる発想です。

 

古の七の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせし物は酒にしあるらし

読み:いにしえの ななのさかしきひとたちも ほりせしものは さけにしあるらし

340 作者 大伴旅人

現代語訳:

古の七賢人もまた、欲するものはもっぱら酒であったらしい

解説:

魏晋の時代に、俗世を避けて飲酒や談話、琴などに遊んだ「竹林の七賢人」を指します。

七賢人の一人が「唯酒飲むことをこれ努めとなす」という言うところがあり、他の歌を含めて、「らし」は伝聞なのでしょう。

 

賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔い泣きするし優りたるらし

読み:さかしみと ものいうよりは さけのみて よいなきするし まさりたるらし

342 作者 大伴旅人

現代語訳:

賢ぶってものを言うよりは、 酒を飲んで酔い泣きする方がまさっているらしい

解説:

「賢み」とは「うれしみ」などと同じ用法。漢語に「酔泣」との言葉があり、それを取り入れたもののようです。

 

言はむすべせむすべ知らに極まりて貴きものは酒にしあるらし

読み:いわんすべ せんすべしらに きわまりて とうときものは さけにしあるらし

343 作者 大伴旅人

現代語訳:

言いようもなく致しようもないことに、究極の貴重なものは、酒であるらしい

解説:

「言わんすべ」とは「言う術」、「せん」は「する」の未来形、「しらに」は「知らないので」。

言うこともすることもできないので、その果てには酒しかないということです。

 

なかなかに人とあらずは酒壷に成りにてしかも酒に染(し)みなむ

読み:なかなかに ひととあらずは さけつぼに なりてしかも さけにしみなむ

344 作者 大伴旅人

現代語訳:

なまなかに人間であるよりは、酒壺になってしまいたい。そうしたら酒に浸っていられるだろう。

解説:

一連の中でよく引かれる歌。なまじっか人間であるよりは、いっそ酒壺になってしまいたい。そうすれば、酒浸りになっていられるから。という意味。

おもしろい発想です。これも中国の故事に三国時代のある人が、酒好きのあまり、「窯場のそばに埋めてくれ、化して陶土となって、酒瓶に作られたい」といった話に基づいています。

しかし、旅人の内容の方が、もっと直截であります。

 

あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む

読み:あなみにく さかしらをすと さけのまぬ ひとをよくみば さるにかもにむ

345 作者 大伴旅人

現代語訳:

ああ見苦しい 懸命ぶって酒を飲まない人を見ると、猿にでも似ているようだ

解説:

万葉集に「猿」を詠んだものは、この一例だけだそうです。

酒を飲まない人への罵倒ですが、激しさの裏に鬱屈した心情もうかがえます。

他に、

この歌に本歌取りをした正岡子規の歌があります。

世の人はさかしらをすと酒飲みぬあれは柿くひて猿にかも似る 

 

価なき宝といふとも一坏の濁れる酒にあにまさめやも

読み:あたいなき たからというとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも

346 作者 大伴旅人

現代語訳:

値の知れない宝と言っても、一杯の濁り酒にどうしてまさろうか

解説:

「値なき」というのは、値が付けられないほど珍しい宝という意味のようです。
「あにまさめやも」は反語の用法。

 

夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあに及(し)かめやも

読み:よるひかる たまというとも さけのみて こころをあるに あにしかめやも

347 作者 大伴旅人

現代語訳:

たとえ夜光る珠玉であっても、 酒を飲んで思いを晴らすのにどうして及ぼうか

解説:

「夜光珠」は天下の至宝。それにも酒の方が勝る、という論なのです。

 

世の中の遊びの道にかなへるは酔い泣きするにあるべかるらし

読み:よのなかの あそびのみちに かなえるは よいなきするに あるべかるらし

348 作者 大伴旅人

現代語訳:

人の世の遊びの道において最も楽しいことは、酔い泣きをすることにあるらしい

解説:

「遊びの道」というのは、これも漢語に「遊道」と言う言葉があり、それを日本語訳したもののようです。

 

この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ

読み:このよにし たのしくあらば こんよには むしにもとりにも われはなりなむ

349 作者 大伴旅人

現代語訳:

この現世に酒を飲んで楽しくしていられたら、来世には虫にも鳥にも私はなってしまおう

解説:

この歌には「酒」に関する言葉がないように見えますが、「楽し」自体が酒を暗示する意味であるそうです。

「このよにし」の「し」は助詞。

「虫に鳥にも」の「も」の抜けは、字数を合わせるためのものだとのことです。字余りのある下の歌と比べてみましょう。

上の「酒壺になる」という発想は、ユーモラスでしたが、こちらは、もっと虚無感にあふれています。また仏教的な生まれ変わりにもふれてもいます。

 

生ける者(ひと)遂にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくをあらな

読み:いけるひと ついにもしぬるものにあれば このよにあるまは たのしくをあらな

350 作者 大伴旅人

現代語訳:

生まれたら、最後には必ず死ぬとわかっているのだから、この世に生きている間は楽しくありたいものだ

解説:

この歌にも、酒のことが出てきません。そして、ここまでの酒とその享楽は、この二首を表したいためのように思えます。

「最後は死ぬのだから」という想念は、現代においてもあるものですが、万葉の時代からも、人々の生の中に楽しみも悲しもあったということを知るのは、感慨深いものがあります。

 

黙居(もだを)りて賢しらするは酒飲みて酔い泣きするになほ及かずけり

読み:もだおりて さかしらするは さけのみて よいなきするい なおしかずけり

351 作者 大伴旅人

現代語訳:

黙っていて、賢明そうにしているのは、酒を飲んで良いな気をするのに比べれば、やはり及ばない。

解説:

上の歌で「生きている間の楽」について述べた後、再び「讃酒」に戻って、最初のコンセプトに戻って一連を終えています。

「しかずけり」というのは、「然り」に打消しの「ず」ですが、それを「しかずけり」ときっぱり言っていますが、「けり」で終えるのも、この一首のみです。

おもしろいことに、この時代の酒の飲み方というのは、大勢で宴会で飲むというものだったそうです。

しかし、李白や杜甫などにあるように、一人で酒をたしなむという飲み方が、文学と共にまた伝わってきたということなのです。

そうだとしてもこの歌は、ただ一人で酒を楽しんで飲むというよりも、むしろ、一人であるというところ、楽しい酒とは裏腹に孤独な感じが付きまといます。

そして、楽しいから酒を飲むのではなくて、現実の辛さ「物思い」を忘れるために、酒を飲むという逃避の感情も読み取れます。

ただ、それらはいずれも「らしい」ということで、一つの手段として、それらを漢詩の中に見出しているさまもわかります。

そして、孤独と酒の享楽の中に「酒を飲みながらでも、妻が亡くなった後の人生を、少しでも楽しく生きようとする思い」のようなものも見て取れる気がします。

 

大伴旅人の「酒を讃むる歌」は、酒という楽しみについて述べながら一面では悟りともいえるような、一種の「思想」をも表した作として、万葉集においては、異色の作です。

また、13首の連作としても鑑賞しうるその点からも、旅人の代表作の一つとして読み継がれているものです。どうぞ、繰り返し読んで味わってみてください。




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