5月からいよいよ新しい「令和」の世に入り、国民皆が祝賀の連休となりました。これまでも新元号「令和」の由来と成り立ちをお知らせしていますが、これまでは発案者が誰かがはっきりしていませんでした。
令和が運用開始される5月となって、発案者が万葉学者の中西進氏であること、また、安倍首相が中西氏他複数の学者に考案を求めていたことがわかりました。「令和」決定の経緯を朝日新聞の記事を元にお知らせします。
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新元号 最初は10数案
政府関係者が明らかにしたところによると、2月末に新しい元号の候補が10数案に渡って安倍首相に提出されました。
しかし、首相はそれらをみて「他にも検討しよう」と指示。
さらに学者に追加で考案を依頼するように指示したといいます。
「令和」はあとから追加の案だった
3月14日付で国文、漢文、日本史、東洋史などの専門家に政府が依頼していましたが、下旬にかけて追加で考案を打診。
その中に中西進氏が含まれていました。
中西氏が提案したのは数案であり、その中から「令和」に目を止めた首相は「万葉集っていうのがいいよね」とと言われたそうです。
万葉集が典拠となった理由の一つには、事前準備の段階から「元号の典拠は国書の方がいい」という首相の意向があったようです。
新元号最終候補は「令和」他6案に
新元号の候補となったのは、他に「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」そして、後から中西氏が考案した「令和」と併せて6案でした。。
これらが最終の原案として絞られました。
そして、決定に至ったのは「令和」の典拠が万葉集であったためのようです。
「万葉集」が重視された理由
なぜ、「万葉集」が決め手であったのか。
万葉集は天皇や皇族から、防人、農民まで幅広い層の歌を収めているとされてきました。
首相は政権の看板政策「一億総活躍」のイメージを重ねたので、そのお眼鏡にかない、「令和」が本命として絞られたとのことです。
懇談会9人中8人が「令和」を支持
そして、4月1日、林真理子、宮崎みどり、山中伸弥さんなどが参加した元号に関する懇談会で、9人中8人が令和を支持し、最終的に新元号は令和に決定しました。
「令和」に決定した理由は、国書であったこと、そして、幅広い民衆の歌を集めたとされるところが、「一億総活躍」との政策にマッチしていたためであったようです。
このような意向には賛否両論あるかもしれません。私自身は「万葉集=国民全部」とはあまり思えません。
万葉集には、文字を知らない人が口伝えに詠んだものもあったと思われますが、基本的には、多く和歌を詠んだのは文字の読み書きができた一部の階級の人だったと思います。
「梅花の歌32首」の序文を記し、歌を書き留めた大伴旅人は、モチーフを漢詩他から取り入れていますので、中国語も理解ができ、高位の人の中でもより教養の高い人であったと思われます。
また「梅花の宴」に参加した官吏たちは、この人たちもまた、即興で和歌を詠むということができたわけですが、いくら何でも大衆のすべてがそのレベルであったとは思えません。
逆に言えばたくさんの歌を集めるために、それほど秀歌でないものも集めて書き留めたのも万葉集です。それが「イコール民衆」になるかどうかは、万葉集を読んだその人のイメージであるでしょう。
なにせ全部で4500首もあるのですから、たまたま防人の歌とその周辺を詠んだ人には、「民衆の歌」かということになり、たまたま天皇の歌を読めば、天皇と側近の作品集かとも思われるかもしれません。
万葉集に限らず、歌集には様々な読み方があろうかと思います。同じ一つの歌であっても、何が素晴らしいと思うかもその人によって違ってきます。
どうぞ「令和」をきっかけに、万葉集からご自分の良いと思うところを見つけてください。新元号「令和」が新しい時代と思うに、短歌へのしるべとなるよう願っています。