八木重吉の詩「素朴な琴」を解説、鑑賞と感想を記します。八木重吉は惜しくも早世したクリスチャンの詩人です。
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八木重吉の詩「素朴な琴」
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空気が澄んだように感じられる秋の日、日差しのふりそぐ中にいると、きまって思い出す詩があります。
それが、八木重吉の詩、「素朴な琴」です。
「素朴な琴」八木重吉
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう
※他の教科書の詩の解説は
教科書の詩 教材に掲載される有名な詩一覧
視覚と聴覚
素朴で奇をてらったところや思わせぶりなところが何一つない4行分けで記された詩、4行詩です。
秋の美しさに琴が共鳴して鳴りだすという、視覚と聴覚に訴えかけるイメージを伝えるこの詩は、一度読んだら忘れられないでしょう。
「素朴な琴」の「琴」とは
「素朴な琴」というのは、大きなハープではなくて小さな竪琴のような琴なのでしょうか。
重吉は英語の教師でしたので、英詩からのイメージであったと思われます。
ギリシャの神々が奏でたといわれる竪琴のようなもので、英詩のモチーフにも多く取り上げられています。
「素朴な」というのは、大きくはない、そして楽器として豪華で複雑ではないものだということでしょう。
各行を順番に見ていきましょう
「明るさのなかへ」の場所
「明るさ」が屋外を指すとは限りませんが、「この明るさ」というからには、少々の明るさではありません。
秋の光が十分に感じられるような場所であることが想像できます。
「なかへ」は「中へ」。単に屋外や部屋にではなくて、「中へ」と続くことでことが移動していることが予想できます。
「琴をおけば」の意味
琴のある場所は、私の想像では、草原にある木立の緑の中に、琴が立てかけられて置かれているようなイメージです。
「おけば」というのは、不慮の出来事として置き忘れたということではありません。
美しい景色の中に、美しい琴を能動的に置いたのです。
なぜ、そこに琴を置いたのでしょうか。
それは景色が美しかったからではないでしょうか。
そして、その美しさのために、琴を置くことで何ごとかが起こることが期待されていたのです。
「美しさに耐えかねて」の擬人法
この詩の一番大切なところが、この三行目の「美しさに耐えかねて」の部分です。
主語は琴なので、ここは擬人法が用いられています。
「美しさに鳴りだす」のではなく、「美しさに耐えかねて」ですので、琴に人のような気持ちがあることがわかります。
さらにここで「秋の美しさ」がより強調を受けることとなります。
読む人には「秋の美しさ」が様々に思い浮かぶことでしょう。
帰結「鳴りいだす」
「鳴りいだす」は、誰かがことを奏でるのではありません。
琴それ自体がみずから、誰も触れていないのに音を発するということです。
とても不思議な帰結ですが、この詩を読んでいるとそれが不思議とは思われなくなります。
琴が自ら音を鳴らしても当然のことのように思われるのです。それは、作者八木重吉がそう思っているからです。
詩では、作者が伝えたことが読んでいる人にそのまま伝わるのです。作者の見ているも緒と同じものを読み手が見る、それが詩のおもしろさであるのです。
この詩を作った作者が、八木重吉という人です。
八木重吉はどんな詩人か
八木重吉は、クリスチャンであり職業は学校の教師でした。
同じく教師をしていた妻登美子を娶り二児をもうけますが、胸の病に倒れてしまいます。
登美子の懸命の看病と祈りもむなしく、重吉はこのような短い詩をたくさん残して、29歳で亡くなってしまいます。
1冊目の詩集『秋の瞳』刊行後も生前はほとんど世に知られず、亡くなってから2冊目の詩集『貧しき信徒』が刊行されました。
『秋の瞳』の前書き
「私は、友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。
この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」
上のように前書きしたのが、大正14年刊行、重吉が生前に刊行した詩集『秋の瞳』です。
上の詩「琴はしずかに」は、2冊目の「貧しき信徒」の方に収録されています。
この詩を読んでの感想
短いこの詩自体が、光あふれる野の草かげにそっと置かれているこの琴であるかのようです。秋の美しい光に唱和して琴の音が響くように、重吉も自らも何かを訴えたい気持ちになりこの詩を記したのでしょうか。