雨降ればわが家の人誰も誰も沈める顔す雨霽(は)れよかし 今日の日めくり短歌は、石川啄木の作品です。
スポンサーリンク
雨降れば
わが家の人誰も誰も沈める顔す
雨霽れよかし
石川啄木の『一握の砂』より雨の日の短歌です。
今週末の休日は夜半から朝の強い雨で始まりました。
車社会となった現代では、移動は雨に濡れないでもできるため、雨が降ったからといって、家に居なければならないということはありません。
しかし、昔は、十分な雨具もなく、雨が降れば家にいるしかありませんでした。
雨の「ステイホーム」とストレス
新型コロナの「ステイホーム」では、家族が家に滞在し続けることからくるストレスが問題になりましたが、啄木の家でその状況を作り出したのは、雨という悪天候であったようです。
啄木の家では、僧侶の父が責任を問われて、一家は治めていた寺と故郷を追われました。当然、夫婦は楽しく暮らせるはずもなく、居づらくなった父は、その後家出をしてしまいます。別居や離婚と同じことです。
また、啄木の妻節子と、啄木の母とのいわゆる嫁姑の間柄も、極めて悪いものでした。
一つには一家が貧乏であったため、仲よく暮らすのは難しいことだったのでしょう。
節子夫人も一度家出をして、その後説得されて家に戻ったことがあったようです。
一首の意味
雨が降るとそのような家族たちが、狭い家の中で皆で顔を突き合わせていなければならず、皆が一様に暗い顔をする。「どうか雨よ晴れてくれよ」というのが上の歌の意味です。
他にも類似の歌として、「猫を飼わばその猫がまた争いの種となるらむ悲しき我が家 」という歌もあります。
いつも豪胆な啄木にとってさえも、家族が不機嫌になるということは、悩みの種であったのです。
しかし、啄木もその家で、家族に看取られて亡くなります。
歌集『一握の砂』出版の約2年後のことです。