夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
藤原俊成(ふじわらとしなり)の代表作として知られる、有名な短歌の現代語訳、品詞分解と修辞法の解説、鑑賞を記します。
藤原俊成は、藤原定家の父。この歌は伊勢物語を本歌取りして作られました。
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夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
読み: ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずら なくなり ふかくさのさと
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
千載和歌集 秋上259
現代語訳と意味
夕方になると野原を吹く秋風が身に染みて、鶉が鳴いている。この深草の里には
句切と体言止め
4句切れ 倒置 体言止め
語句と文法
- 夕されば・・・「されば」は「夕方になると」の意味 順接確定条件
- 鶉・・・うずら おそらく野生の鶉
- 鳴くなり・・・助動詞ラ変型の終止形
音・声として聞こえることを表す助動詞 意味は「…の音(声)がする。…が聞こえる」 - 深草・・・この歌の本歌となる地名
解説と鑑賞
藤原俊成の代表作といわれる短歌。俊成の悲嘆がしみじみと受け取れる。
『伊勢物語』の本歌取り
この歌は、作者不詳の平安時代に成立した日本の歌物語『伊勢物語』の百二十三段の歌を本歌取りしたもの。
深草はその最初の部分、「むかし、男ありけり。深草に住みける女を、・・・・」の地名をとっている。
『伊勢物語』の元の歌
元の歌は
というもの。
意味は、
荒れ果てた草深い野に私は鶉(うずら)になって鳴いております。そうすればあなたは、狩りにだけでも来てくださるでしょうか
藤原俊成はそのモチーフをとっているので、「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」うずらは鶉は、上の歌の作者の女性であり、思い人を慕って鳴いているとも思われる。
そして、作者の方は、野原である草深い里の、身に迫る寂しさを、冷たい「秋風」を用いて表している。
また、相手を恋いて、あるいは伴侶を求めて鳴いているのだろう鶉の声を、さらに秋風と組み合わせることで、作者の孤独と寂寥を表す。
身にしみる秋風の冷たさという体感的なものから、聴覚である鶉の声のどちらもが、具体的で五感に訴えかけるものがある。
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。
「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入っている。
作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。