月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里  

広告 古今集

月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里

2020年9月16日

※当サイトは広告を含む場合があります

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど

大江千里の古今和歌集と百人一首に採られた有名な和歌、現代語訳と句切れや係り結びの修辞法の解説、2つの解釈と鑑賞を記します。

スポンサーリンク




月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど

読み:つきみれば ちじにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

作者と出典

作者:大江千里
出典:『古今集』193 百人一首23番

現代語訳:

月を見れば、様々に思いが乱れて悲しいものだ。別に私一人のために秋がやってきたというわけでもないのに

・・

語と句切れ・修辞法

一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です。

使われている修辞法

  • 倒置
  • 係り結び

句切れ

三句切れ

月見れば

「月』の後の「を」の助詞が省略されている。

ちぢに

「千々に」が漢字。意味は「際限なく」

ものこそかなしけれ

「こそ…けれ」は係り結び

わが身ひとつの

「わが身ひとつの」の意味は「私一人」。

「千々に」の「千」と「一」とを対応させている。

「身」の説明

「身」は古今集でもよく使われる表現ですが、「体」という意味ではなく、身の上、身分、境遇、命、また精神的はたきなどを指す、広い概念となっています。

 

あらねど

あら=補助動詞「あり」[未然形] ね=打消の助動詞「ず」[已然形] ど=接続助詞

※古今和歌集・新古今和歌集の作品一覧に戻る
古今和歌集と新古今和歌集の代表作品 仮名序・六歌仙・幽玄解説




解説

古今集の他、百人一首にも採られた有名な歌です。

「悲しい秋」を表す「悲秋」がコンセプトで、この時代には、秋の悲しさや物思いに沈む様子は、和歌の一つのテーマでした。

「月も秋も誰にも等しく見え、訪れる季節であるのに、まるで私の秋であるかのように、こうも憂いが深まるのはなぜだろう」と問いかけることで、「悲秋」の個別性を強調しています。

和歌のもととなる漢詩

この歌のもとになると言われるものは、白楽天の「燕子楼(えんしろう)」という漢詩の中の

燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長

読みは「えんしろうちゅうそうげつのよる、あききたってただひとりのためにながし」

意味は「燕子楼で長年一人暮らしていた、死亡した国司の愛妓が、月の美しい秋寒の夜「残されたわたし一人のため、こうも秋の夜は長いのか」

この歌のもう一つの解釈

また、この歌には、「秋は天下万民の季節でわたしのためのものではない」という理解の他に、「月は無心ながら私の心により、月に憂いを見る」というもう一つの解釈もあります。

つまり、「月は誰にでも見えるものであり、皆もみているはずなのだが、私がだけがこのように物思いに沈んでいる。私だけではないはずなのに」という意味も考えられます。




-古今集
-,

error: Content is protected !!