瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
百人一首に採られた崇徳院の有名な和歌、現代語訳と句切れや係り結びの修辞法の解説と鑑賞を記します。
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瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
作者:崇徳院(すとくいん)
出典:百人一首77番 『詞花集』恋・228
現代語訳:
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれるように、たとえ一度は別れ別れになっても、行末はかならずまた逢おうと思う
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語と句切れ・修辞法
・句切れなし
・「はやみ」…「はやめる」の文語形。
・「せかる」…「堰き止められる」の使役 未然形
・われても…基本形「われる【割れる】 意味は「裂け目ができる。また、傷がついて開いた状態になる。」
・末に…川下(かわしも)。下流。
・「会わむ」…「む」は未来の助動詞 意思を表す
使われている修辞法と句切れ
- 句切れなし
- 「ぞ」と「思ふ」は、係り結びの関係
係り結びの解説
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
解説
百人一首に採られた崇徳院の有名な歌、『詞花集』の「恋」の項に収められている恋の歌です。
一度は分かれて2股になる川が、下流で一つになる、その様子に自らの恋情を託して表現したものです。
恋心の強さというよりも、作者崇徳院の強い意志が感じられますが、これには、数奇な運命に翻弄された崇徳院自身の政治的な立場も背景にあるように思われます。
上句、「瀬をはやみ岩にせかるる」には、「瀬」と「岩」の羅列する調べに流れを思わせる性急さがあります。
「瀬」と「岩」の一つではない具体的な事物の提示に、翻弄される様子とどうしようもない別れのつらさとが表されています。
下句は、川の下流においてまた一つになろうというもので、「逢はむとぞ思ふ」を引き出すための、川の様子部分は比喩の修辞です。
特にこの「逢はむとぞ思ふ」、一首のポイントである「逢う」を引き延ばした結句の緩やかな調べとの対比も大きな効果があります。
崇徳院はどんな人
崇徳院は1123年に5歳で天皇となりましたが、保元の乱(1156年)で後白河天皇に敗れ、讃岐に配流されました。
この歌は、崇徳院が、1150年に藤原俊成(しゅんぜい。定家の父)に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首です。
勅撰歌集のもうひとつが、『詞花集』和歌に熱心であった崇徳院を中心に当時の歌壇が展開していました。
後白河院に経の写本を送ったものを贈り返されたことに怒った崇徳院は、崩御するまで爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿になり、その後崇徳院の怨霊伝説も生まれています。
実際には、穏やかな余生を過ごしたとの言い伝えもあり、真偽は定かではありませんが、和歌に心を寄せる繊細で感受性豊か、それゆえに激しい一面をお持ちの方であったかもしれません。
崇徳院の他の恋の和歌
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(久安百首)
夢の世になれこし契りくちずしてさめむ朝あしたにあふこともがな(玉葉2368)