赤い椿白い椿と落ちにけり 作者、河東碧梧桐の教科書にも掲載される俳句の代表作。
この俳句の解釈は2通りありますが、ポイントは赤白の色彩にあります。
河東碧梧桐の俳句の代表作の解説を感想を交えて記します。
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赤い椿白い椿と落ちにけり
読み:あかいつばき しろいつばきと おちにけり
俳句の作者:
河東碧梧桐(1873〜1937) かわひがし へきごとう
意味と現代語訳
この句には、2つの解釈があります。
解釈1の意味
赤い椿と白い椿、それぞれの木の下に落ちている、赤白の椿のそれぞれの花群の色が鮮やかであることよ
解釈2の意味
見ていると最初に赤い椿が落ち、それについで白い椿と、鮮やかにも赤白が続いて落ちたのだよ
2つの解釈は専門家の間でも意見が分かれるとされていますが、碧梧桐自身は、どうやら、前者「解釈1」の方の風景を表したようです。
この句の季語
季語は「椿」
春の季語
字余りについて
「赤い椿」は6文字の字余り
対句
「赤い椿」「白い椿」は対句
この句の切れ字
切れ字 「けり」 以下に解説
解説
この俳句の作者は、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)。
明治29年、碧梧桐24歳の時の作品で、碧梧桐の初期の代表作といわれています。
俳句の情景に2通りの解釈
この俳句の情景については、2通りの解釈があります。
椿の木の根元に落ちている、紅白の椿を詠んだとされるのが、正岡子規や高浜虚子他の解釈です。
もう一つは、いままさに、紅白の椿が目前で落ちていった、その様子を詠んだとする解釈です。
「落ちにけり」と椿
そしてもう一つが、「落ちにけり」の「落つ」の動詞です。
椿の花は、散るのではなく花弁がすべてまとまった花の形のまま咲き終りを迎えます。
花首から落ちるツバキの散り際から、「首が落ちるので縁起が悪い」と古い時代の武士には忌避されたと伝わっていますが、「落ちにけり」に「生死」をなぞらえて感じる人もいるようです。
この句の良さと特徴
赤と白の取り合わせはとりわけ鮮やかで華やかなものであり、正岡子規の評では、「赤白の花」に指摘があります。
「紅白二団の花を眼前に覩(み)るが如(ごと)く感ずる処(ところ)に満足するなり」
子規の評価は「まるで目の前に見えるように感じる」というところに、大きなポイントがあります。
他にも、高浜虚子の評では、やはりその色彩が取り上げられています。
「明白な色彩を画してはつきりと目に映る」
この「赤」と「白」を両者とも高く評価しているところが共通しており、この句が広く人々に愛されるようになったところもそこにあります。
俳句に込められた作者の心情と思い
いずれにしても、作者の心情と感慨は、「赤と白」、その2色のコントラストの鮮やかさにあるでしょう。
その二色の色に眼を引かれた、その気づきが「けり」の詠嘆に込められているのです。
「けり」の切れ字について
「けり」は俳句の切れ字といわれる部分です。
解説
「けり」の意味
「けり」はもちろん俳句だけに使われるのではなく、詠嘆を表す助動詞として、短歌にも多く用いられます。
「けり」について
けりの接続 | 動詞、形容詞、形容動詞、助動詞の連用形に接続 |
けりの意味 | それまで気付かずにいたことに気付いたときの感慨を表現する助動詞 |
けりの訳語 | 「のだなあ」「だよ」など |
「けり」の用例
大根(だいこ)引大根で道を教へけり 作者:小林一茶
一茶の「けり」の詠嘆のポイント:
大根で道を指し示すという新しい動作のおもしろさ
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり 作者:正岡子規
正岡子規の「けり」の詠嘆のポイント:
晴れ渡った秋の空の様子を「雲もないのだよ」と詠嘆するところがポイントです。
電文の「けり」
他にも「けり」は伝聞に使われる意味もあります。
用例:「昔、男ありけり」
意味は「昔、男がいたそうだ」。
物語の書き出しなどに用いられる表現でもあります。
私自身のこの俳句の感想
作者の見ている間でd朱と白のつばきが今まさに落ちていったという動画のような光景を想像します。実際には、作者は一本の木のまわりに赤い椿が落ちていて、それから、もう1本の木の方には白い椿が落ちている。そこに心を動かされてこの句を読んだのだそうです。
北原白秋に「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド」という曲の歌詞があります。赤い椿の木の周りに赤が、白い椿の周りに白が落ちるのは一見当たり前のようですが、作者は椿の花が一つだけであれば、なんとも思わなかったのでしょう。たくさんの椿の花がそれぞれの地面を赤白に染めるように落ちている。その木の周りだけが地面がやや円形に赤く、もう一方は白に彩られていることに自然が偶然作り出した美しい風景を見出した気持ちになったということだろうと思います。とても当たり前のことなのですが、ありきたりの「落椿」ではないところ、赤と白の両方を一句に取り合わせたところに目新しさがあると思います。
他の歌人の椿の俳句
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 高浜虚子
大空にうかめる如き玉椿 高浜虚子
はなやかに沖を流るる落椿 山口青邨
ひとつ咲く酒中花はわが恋椿 石田波郷
うつし世に浄土の椿咲くすがた 水原秋櫻子
落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子
笠へぽつとり椿だつた 種田山頭火
河東碧梧桐の他の俳句
蕎麦白き道すがらなり観音寺
相撲乗せし便船のなど時化(しけ)となり
雪チラチラ岩手颪(おろし)にならで止む
ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く
曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ
木屋町や裏を流るる春の水
冬川の家鴨(あひる)よごれてつどひけり
元日や寺にはいれば物淋し
三味線や桜月夜の小料理屋
脇僧の寒げに暗し薪能
から松は淋しき木なり赤蜻蛉
虫干しや返す人亡き書一函(しょいっかん)
秋の夜や学業語る親の前
晴々と萩憐むや天竜寺
静かさや灯台の灯と天の川
送別の爆竹鳴るや秋晴れて
河東碧梧桐とは
俳人・書家。愛媛の生まれ。名は秉五郎 (へいごろう) 。正岡子規に師事。高浜虚子とともに「子規門下の双璧」と呼ばれた。新傾向俳句を唱え後に、自由律俳句に進んだ。
一緒に俳句誌「層雲」を創刊した萩原井泉水は、自由律俳句で有名な尾崎放哉の師でもある。