斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。
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「死にたまふ母」は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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(読み)ほそみずにながるるすなのかたよりにしずまるほどのうれいなりけり
歌の意味と現代語訳
以下にポイントをあげます。
現代語訳
細い水の流れにさえ流されず、流れの端に静かに淀んで残る細かい砂、 その位の静かでかすかな憂いがある
出典
赤光」明治43年 2をさな妻
歌の語句
ながるる・・・流れるの連体形
表現技法
一句から四句までが「うれひ」にかかる形容詞句。「うれひなりけり」の述部のみの序歌に似た構成。
解釈と鑑賞
構成が変わっており、感傷的な感じの歌。
同じ家に住みながら、まだ触れることもできないをさな妻への恋慕とつながりがあるのだろう。
4句までは情景を述べる。そして、結句でそれを「うれい」なのだと名付ける。
内容を十分に伝えた上で、情景に「うれい」との言葉を与えることで、まだ何とも定義しがたい視覚イメージから、くっきりした言葉の定義への移行がなされ、作者の心境もこの結句にあるわけだが、自然に押しつけがましくなく提示されている。
茂吉の自解
私の少女に対する「憂い」も所詮この砂の流れの停滞から起こる「うれい」にかようものではなかろうかと思った時、そこに淡い慰謝があった。「自歌一首」 斎藤茂吉
佐藤佐太郎の解説
細い水の流れがあり、流れに従って細かい砂が動いているが、砂はしばらくすると一方に偏ってそこに停滞する。この小さな停滞の一種もどかしいような状態は、さながら自分のうちにある「うれひ」だという歌である。
一句から四句までは「うれひ」を形容する序のようにも受けとれるが、作者みずからいうように、従来の序歌の形式と違って、現前の状況そのものから触発された情調を表現しているのである。(佐藤佐太郎「茂吉秀歌」)
こういう微細な心理の動き、微細な事象の中にある真実の発見は茂吉の天分によっているが、明治四十二年以来、森鴎外の観潮楼歌会に出席したりして、広く文芸芸術の世界に目を開いた結果でもある。
あるときは切実に、強烈に、ある時は太く大きく、またあるときは微かに、鋭く、すべて生に即して直接に詠嘆しようとしたので、これが抒情詩としての短歌だという自覚がこのころすでにできていた。(佐藤佐太郎 岩波書店「斎藤茂吉選集1」解説より抜粋)
次の歌
木のもとに 梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
現代語訳
梅の木の下で、まだ熟しきっていない梅の実を食べたをさな妻が、酸っぱそうな顔をして、はにかんで赤くなるまでに、時が経って妻も成長したのだなあ。
出典
『赤光』明治43年 2をさな妻
歌の語句
酸し・・・「す」し 酸っぱい
さにづらふ・・・万葉語
「さにづる」 赤い顔をする 恥ずかしそうなはにかんだ顔をする
表現技法
「酸し」は基本形なので、二句切れ。
「妻」のあとには「の」の主格の格助詞が省略されている。
解釈と鑑賞
さまざまに解釈されて話題になった歌。
島木赤彦は「おさな妻が庭前の梅の下陰に若い木の実を食う」として「食めば」の主語は妻であると考えた。
塚本邦雄はそれを否定している。「食めば」の主語は妻ではなく、むしろ作者であるとする。おそらく「酸し」で句切れになるので「酸っぱい妻」とはつながらないためだろう。
現代語訳は便宜上、つなげて書いてみたが、各自考察されたい。
もっとも塚本はそれをはっきりしないまま味わうのが良いとも考えたようである。
なお、この歌は佐藤佐太郎の「茂吉秀歌」には入っていない。
「をさな妻」の出てくる歌は、いずれも独特の哀感と情緒とを持っているものが多い。
古泉千樫当ての作者の手紙にこの歌について書いた箇所がある。
梅を食っていた時、その味と周囲の関係から、観念の連合作用によって一種不安の気分になったと思ってくれたまえ。心的運動は微妙、甚深である。静かに内製してみても、どうしても母から習った言語だけでは一言で表せない場合が多過ぎる位多い。
類歌
さにづらふ少女ごころに酸漿(ほほづき)の籠(こも)らふほどの悲しみを見し
をさな妻をとめとなりて幾百日(いくももか)こよひも最早眠りゐるらむ