歌人と作品

吉野秀雄代表作短歌 真命の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ

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吉野秀雄の短歌集『寒蝉集』には、命が尽きようとする妻との愛の交歓を表す稀な短歌があることはよく知られています。

その代表作の成り立ちと『寒蝉集』について記します。

 

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吉野秀雄の短歌集『寒蝉集』

『寒蝉集』の冒頭には、次のように記されます。

「昭和十九年夏、はつ子胃を病みて鎌倉佐藤病院外科に入院し遂に再び起たず八月二十九日四児を残して命絶えき享年四十二会津八一大人戒名を授けたまひて叔真院釈尼貞初といふ」

そして、その短い間の妻の闘病を歌った歌をもって始まります。

 

病む妻の足頸(あしくび)にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし
遮蔽燈の暗き燈(ほ)かげにたまきはる命尽きむとする妻と在り
をさな子の服(ふく)のほころびを汝(な)は縫へり幾日(いくひ)か後(のち)に死ぬとふものを
おさな児の兄は弟をはげまして臨終(いまは)の母の脛さすりつつ

 

死に向かう妻をつぶさに見つめ、いずれも生活の実場面に即したもので、それゆえにいっそう哀れさがつのります。

死というもの、そして、死別の苦しみというもの、それらが切々と表された歌の数々は詠むたびに胸を揺さぶられずにはいられません。

 

死の間際の夫婦の姿

その中でも、読む人を瞠目させるのは、下の三首です。

これほど厳粛なものとして詠まれた男女交合の歌は、他にはないでしょう。

 

真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ
これやこの一期(いちご)のいのち炎立ち(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
ひしがれてあいろもわかず堕地獄のやぶれかぶれに五体震わす

 

吉野の自解

この出来事は、はつ子の死の前日のことだったといいます。吉野の記す部分を見ると様子がわかります。

「これは八月二十八日 (死の前日の夜) の出来事であった。看護婦が席を外してすぐ、 “こんな死ぬばかりのからだになっても・・・・” と言ひだした亡妻の真剣必死の声をどうして忘れることができようか。彼女の人間愛の最後の大燃焼であり、炎々たる火焔の中に骸となっていったと観るべきである。事ここに及べば、肉体も精神も糞もない。そんな分別は青瓢箪者流のたはごとに外ならぬのだ。----- ただこれだけをいふ。南無阿弥陀仏」 ( 吉野秀雄『自註寒蝉集』 )

後に山本健吉が記す通りで、そのことをおぼめかし、美化して詠おうとする配慮や、いささかの享楽的要素もない、まさにただそこに今まさに消えようとしている「命」があるだけ、という感じしかありません。

歌に詠まれたのは、その命が最後の炎を燃やす瞬間なのです。

この短歌を「愛の短歌」というカテゴリに入れることもできなくはないかもしれません。

正しくこれも愛の一つには違いありませんが、私たちが「愛」に思い浮かべる以上の、死というものを前にした、人間の究極の姿がここにはあると思います。

それをそのままに詠んだ、歌人の短歌への態度と覚悟も素晴らしいと言われてしかるべきです。

昭和22年、自ら編集する「創元」という雑誌に載せるためのこの原稿を受け取った小林秀雄は、山の上の方に住んでいましたが、原稿を読み終えるなり山を駆け下りて、麓の吉野の家に駆け込んで絶賛したと伝えられています。

妻はつ子を取り巻く家族の姿

他にはつ子を取り巻く子どもたち、そして吉野自身の姿も胸を打ちます。

 

幼子は死に行く母とつゆ知らで釣りこし魚の魚篭(びく)を覗かす
歩みゐて流るる涙のごはねば道辺人(みちのべびと)はいぶかしみ佇(た)つ
亡骸にとりつきて叫ぶをさならよ母を死なしめて申訳もなし
汝が魂はいづくさまよふ末の子の手をひき歩む夜の道暗し
手抱ける汝が骨壺に温みあり山をとよもす秋蝉のこゑ
葬ひの済みてもろびと去りゆけば疲れきれたる子らは丸寝す
母死にて四日泣きゐしをさならが今朝登校す一人また一人
長の娘を母によく似つと人いふにつくづく見つめ汝ぞ恋しき
人の妻傘と下駄もち夜時雨の駅に待てるをわれに妻亡し

 

とりわけ子供たちの無邪気さの表れた歌には涙を抑えることができませんが、吉野はこのあと、八木重吉の妻だった登美子夫人と巡り合い、再び心休まる家庭を得ることになります。

 

吉野秀雄【よしのひでお】

歌人。群馬県生れ。慶応義塾大に進んだが、肺患にかかって中退。病床で正岡子規の作品、歌論を読んで感激したことが契機となって作歌を始め、これ以後、宿痾との闘いをとおしてみずからも万葉調、写生説の実践をつづけていった。

やがて会津八一の門人となり、戦後に歌集《寒蟬(かんせん)集》(1947)を刊行。歌壇にデビューしたときにはすでに大家の風を樹立し畢(おお)せていた。会津八一に私淑。胸を病み療養生活を続けながら作歌、真率な自然・人事詠を残した。

その歌境の高さは同時代に類を見ないといわれる。歌集《苔径集》《寒蝉集》《吉野秀雄歌集》等のほか、良寛研究でも知られる。
2番目の妻登美子は、八木重吉の妻であり、吉野は重吉の遺作の刊行にも尽力した。

 

登美子夫人を詠んだ歌、『寒蝉集』を筆写したページとをまとめましたので、どうぞ併せて閲覧のお役に立ててください。

 

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