万葉集 本・歌集

山上憶良の七夕歌 品田悦一~『万葉の歌人と作品』

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万葉集に関する論文を集めた本。和泉書店刊「万葉の歌人と作品」より。

「憶良の七夕歌」 品田悦一著の武運より

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彦星し妻迎へ舟(ぶね)漕ぎ出(づ)らし天の川原に霧の立てるは (8-・一五二七)

霞立つ天の川原に君待つとい行き返るに裳の裾濡れぬ (8・一五二八)

天の川浮津の浪音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも (8・一五二九)

参考

年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我にまさりて思ふらめやも (15・三六五七)

著者品田氏によると、上の三首は、天平三年七月、読まれたのは筑前守在任中の大宰府で、先に帰京した太宰帥大友旅人(だざいのそちおおとものたびと)に届けられたものと推測している。

前年天平二年十二月、共に大宰府に赴任していた旅人が先に帰京した時、憶良は「かくにみや息づき居らむあらたまの来経行く年の限り知らずて(5・八八一)を含む「敢へて私懐を布(の)ぶる歌」を示すとともに、旅人に自身の早期帰京につき力添えを乞いた。

牽牛が「妻迎へ舟」を漕ぎ出したらしいと歌う1527歌は、この場合、憶良自身を織女に、旅人を牽牛になぞらえて、あなたはきっと私を都へ呼び戻してくれるはずだ、と決め込んでみせたことになるだろう。(一文略)さらに「霞立つ」天の川の川原で御身を待ちわびたと訴える1528歌は、過ぎた春の時点にさかのぼって、期待がかなわず途方に暮れていた様子を示唆したものと解せるだろうし、最後の1529歌は、時点をふたたび秋に戻して一首目と同じ希望を念押ししたものと受け取れるだろう。(中略)特殊な意図が託されていたからこそ、七夕歌一般から見れば異例の表現を含む歌々に仕上がった。(中略)憶良と旅人、および彼らの周辺の官人たちのあいだには、自分たちの境遇を七夕伝説の主人公に擬するような了解が共有されていたのだと考えたい。

 

天平元年の長歌 山上臣憶良の七夕(しちせき)の歌

牽牛(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 彦星は、織姫と、 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 青波(あをなみ)に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居(を)らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹(に)塗りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻きの 真櫂(まかい)もがも 朝凪に い掻き渡り 夕潮に い榜ぎ渡り 久かたの 天(あま)の川原に 天(あま)飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真玉手(またまで)の 玉手さし交(か)へ あまたたび 寐(い)も寝てしかも 秋にあらずとも(8-1520)

 

その主体の不安定性について。

記・紀の歌謡にはこれに類する現象が決して珍しくない。造形を規定しているのは、つまるところ口誦性だろう。発せられては消え去る音声言語の属性が、叙述の細部と全体との緊密な連繋を阻むために、同一の事象を表す視点が往々動揺してしまうのだ。対話的姿勢の不整合もこれと表裏する現象だろう。(中略)

やまと歌の本来の造形とはこうした水準のものであった。叙述する主体が安定した「立場」を持つための条件がそこにはそもそも存在しない。「立場」自体が多分に不透明なものでしかありえなかったのだ。(中略)あえて「立場」という語を用いるなら、立場は「転換」するのではなく、〈重層〉されるのである。主体の座に牽牛の意識が呼び込まれてくるにつれ、享受者も伝説の内部に引き込まれ、牽牛の心に同化するよう仕向けられる。







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