万葉集とは何かを、簡単に言うと、もっとも古い時代の日本の、詩歌集のことです。
万葉集の和歌は、5千以上あるため、一度でわかるように、代表的な作品、元号「令和」の解説を含めてコンパクトに提示します。
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「万葉集」とは
万葉集の定義について解説します。
要旨を先にまとめると下のようになります。
- 万葉集は奈良時代に成立した歌集
- 編纂者は、大伴家持他複数があたり、原文は万葉仮名で記された
- 歌の作者は天皇や皇族、官僚などの他、歌が上手な歌人とされた人たち、一般民衆の歌も含まれる
- 代表的な歌人は額田王、柿本人麻呂、山部赤人など
- 歌の種類は「相聞・挽歌・雑歌」の3つに分類されている
各項目を下に解説します。
万葉集は古代の「和歌集」
「万葉集」は古代の和歌を集めた和歌集です。
天平宝字3 (759) 年までの歌が収められており、成立の時期は奈良時代です。
「万葉」の意味は「万世」まで
「万葉」の意味は、「葉」は「世」、時代の意であり、万世まで伝わるようにと祝いの気持ちを込めたと考えられています。
万葉集を編纂した人は大伴家持他
編者ははっきりしていないのですが、複数の人が関与したとされます。
万葉集の後半は、大伴家持の作品が多く、「歌日記」のようになっていることや、一番最後の歌が家持の歌で祝賀を示す内容になっていることなどから大伴家持とが、中心になってまとめられたのではないかと考えられています。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事/大伴家持/万葉集解説
万葉集の原文は万葉仮名
万葉集の歌は、何で書かれたのかというと、当時はひらがなというものがなく、 万葉仮名(まんようがな)と呼ばれるもので、漢字一つ一つに音を当てるような形で書かれていました。
万葉仮名の例
多麻河伯尓 左良須弖豆久利 左良左良尓 奈仁曾許能兒乃 己許太可奈之伎
「令和」の元の序文と「梅花の歌32首」
新元号の「令和」の2文字は万葉集の中から採られました、
大伴旅人(おおとものたびと)の記したとされる、「梅花の歌32首」の序文の中にある下の箇所です。
初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)に披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香に薫る。
「令和」部分の現代語訳
この部分の現代語訳は
初春の良き月、気はうららかにして風は穏やかだ。
梅は鏡台の前のおしろいのような色に花開き、蘭は腰につける匂い袋のように香っている。
というものです。
万葉集の梅の短歌・和歌 新元号「令和」の由来と「梅花の歌32首」
梅花の歌32首
梅花の歌32首の全部は下の記事で見られます。
万葉集「梅花の歌32首」現代語訳と解説 大伴旅人序文「令和」の出典
全32首はたいへん長いので、大伴旅人の歌をまずご覧ください
大伴旅人「梅花の宴」の短歌解説/我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
万葉集の和歌の種類
万葉集に収められた和歌の種類は下の通りです。
・長歌・・・形式が決まっておらず、古代の詩のようなもの
・短歌・・・57577の現代の短歌と同じ形式
・旋頭歌・・・577577の形式と字数の短歌
和歌というのは、これらの形式の詩歌の総称です。
長歌
五音と七音の句を3回以上繰り返した形式のものが多くみられます。
長歌の例
天地の分れし時ゆ 神さびて 高く貴き駿河なる不尽の高嶺を 天の原振りさけ見れば 渡る日の影も隠らひ照る月の光も見えず 白雲もい行きはばかり時じくそ雪は降りける 語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は
短歌
今の短歌の形と同じです。
旋頭歌
577577の形式を持っていて、その他は短歌と同じです。
旋頭歌の例
うち渡すをちかた人に もの申す我そのそこに 白く咲けるは何の花ぞも
万葉集の和歌の作者
万葉集に収録されている人は、まず天皇と皇族、官僚などの和歌、そして、優れた歌人の歌、他に、一般民衆の歌があります。
・天皇と皇族、官僚など
・優れた歌人とされる人の歌
・一般民衆の歌
また、それ以外にも、東歌(あずまうた)・防人歌などの、地方の歌が集められている所にも特色があります。
万葉集の代表作短歌・和歌20首 額田王,柿本人麻呂,山上憶良,大伴家持
万葉集の歌人一覧
万葉集には多く天皇とその一族、官僚の歌が収録されています。歌を詠んだ人は
- 額田王
- 持統天皇
- 大津皇子
- 大伯皇女(おおくのひめみこ)
- 志貴皇子
- 元明天皇
- 長田王
天皇の係累や、官僚ではなくても、優れた歌人たちもいます。
- 柿本人麻呂(かきもとのひとまろ
- 高市黒人(たけちのくろひと)
- 山部赤人(やまべのあかひと)
- 大伴旅人(おおとものたびと)
- 山上憶良 (やまのうえのおくら)
- 高橋虫麻呂(たかはしむしまろ)
- 大伴坂上郎女 (さかのうえのいらつめ)
- 大伴家持(おおとものやかもち)
それぞれの代表作を挙げます。
額田王 (ぬかたのおおきみ)
どちらの歌も、とてもよく知られるものです。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る/額田王の有名な問答歌
持統天皇
この歌は百人一首にも収録される有名なものです。
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
春過ぎて春過ぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香具山/品詞分解と表現技法/持統天皇
大伯皇女
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
日本の古代の大歌人の一人。斎藤茂吉の研究書があります。
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ
高市黒人(たけちのくろひと)
「漂泊の歌人」と呼ばれ、収録された歌の数は少ないものの、特徴的な歌で、現代にも愛好者が多いです。
何処(いづく)にか船泊(ふなは)てすらむ安礼(あれ)の崎漕ぎ廻(た)み行きし棚無(たなな)し小舟
妹も我れも一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる
いづくにか船泊すらむ安礼の崎こぎ回み行きし棚無し小舟/高市黒人の名歌
高市黒人の万葉集の全19首短歌と特徴「詩情豊かな抒景歌と孤愁」
山部赤人(やまべのあかひと)
古今集にも収録されるこれらの歌も、広く知られている代表歌です。万葉集の大歌人の一人。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
田子の浦ゆうち出でてみればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ/山部赤人/万葉集
大伴旅人(おおとものたびと)
大伴家持の父。元号令和の元になる「梅花の歌」の序文を記した作者です。
世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
験なき物を思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
大伴旅人の『万葉集』短歌一覧 梅花/鞆の浦/讃酒歌/亡妻挽歌/望郷
大伴家持(おおとものやかもち)
万葉集を編纂したと言われる。父は大伴旅人で、万葉集の収録歌の最多の歌人です。
ふり放(さ)けて三日月見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも
うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがりこころ悲しも独りし思へば
山上憶良 (やまのうえのおくら)
子どもの歌や貧しさを主題にした貧窮問答歌など、万葉集でも特徴的な歌人です。
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
憶良らは今は罷らむ子泣くらむ其も彼の母も吾を待つらむそ
・・・
高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)
短歌の他、長歌も多く詠んだ歌人。手児名の歌もよく知られています。
富士の嶺(ね)に降り置く雪は六月(みなつき)の十五日(もち)に消(け)ぬればその夜降りけり
われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処(おくつきどころ)
高橋虫麻呂「うぐひすの卵(かいご)の中にほととぎすひとり生まれて」
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
旅人の妹。額田王以後最大の女性歌人です。
今もかも大城の山にほととぎす鳴き響(とよ)むらむわれなけれども
酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば/大伴坂上郎女「万葉集」
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