電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ 斎藤茂吉『あらたま』  

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電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ 斎藤茂吉『あらたま』

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電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ

斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方です。

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斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」

『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。

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電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ

読み:でんとうの ひかりとどかぬ よいやみの ひくきそらより がはとびてきつ

作者と出典

斎藤茂吉 『あらたま』大正6年 14 晩夏

歌の意味と現代語訳

電燈の光が届かない夜の闇の低い空から蛾が飛んで来た

歌の語句

・宵やみ・・・宵闇 夜の闇
・ひくき・・・低い
・来つ・・・「つ」は完了の助動詞

修辞と表現技法

・句切れなし
・上三句は「空」を修飾する

・主格を表す格助詞が「蛾は」であるところにも注意

 

鑑賞と解釈

庭の方の闇を凝視していて、忽然と低く蛾を飛来せしめた闇の不思議に驚いているという主題なのだが、驚きが抑えられて表現されているのをよいとしたのだ(山本健吉)。

「低い空」の「低い」というのは、的確でもあり、「光とどかぬ」と相まって、闇の広さではなく奥深さを表している。

三句以下までが「空」を修飾しているもので、主語の蛾が結句の冒頭にやっと登場するのだが、これは「空」の部分を長くとって、闇の暗さと深さを強調するものだ。

そして、そこから蛾の不意の出現が、作者の面したものの時間的比率が歌の言葉の長短そのままとなりそうだ。
まるで絵画の構図にも似たような、歌の構成というべきものがある。

この歌は、個人的には大変好きな歌であったが、その頃、私自身が山の中原で林に面した家に住んでいて、類似の出来事が度々あったからだろう。

それにしても、夜間の蠅といい、昆虫のような微細なものが、よく歌の題材となっているものだとあらためて感心する。
興味を持って見さえすれば歌の題材はどこにでもあるということだろう。

斎藤茂吉の解説

これは部屋にすわっていて、庭の方を見ていて作った。この歌には新鮮な感覚があり、意図・傾向もあまり目立たず、調子も張っていて、大正6年作では記念すべき一首であった。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

「電燈の光とどかぬ宵やみ」の向うから蛾が飛んできたという感受には今まで人の見なかった新しさがある。この時期に到達した作者の眼があるわけだが、その眼を感じさせないほど言葉が自然にのびのびとつづけられている。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

14 晩夏

日日(けにけ)にあわただしさのつのりきえて晩夏の街をわれは急げり
むらぎもの心はりつめしましくは幻覚をもつをとこにたいす
馬追は庭に来なけり心ぐし溜りし為事いまだはたさず
さるすべりの木の下かげにをさなごの茂太を率(い)つつ蟻をころせり
電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ
ものさびしく室に居りつつみちのくの温泉街(おんせんまち)の弟おもへり
味噌汁をはこぶお十のうしろより黙してわれは病室に入る
晩夏(おそなつ)の月赤き夜に墓地あひの細きとほりを行きて帰るも

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