与謝野晶子の未発表の短歌が見つかったことが報道されました。
19歳の時の歌ということにも驚きますが、手紙の文字も大変に達筆でした。与謝野晶子の新しく見つかった短歌はどんなものでしょうか。
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与謝野晶子19歳の未発表短歌、見つかる 直筆で最古
与謝野晶子の新しく見つかった短歌はどんなものでしょうか。
兄の秀太郎の帰省を待ちわびる歌
歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が19歳だった1898(明治31)年に詠んだ未発表の短歌が見つかったと、出身地の堺市が発表した。東京にいる兄、鳳秀太郎(ほう・ひでたろう)の妻に宛てた手紙に、秀太郎の帰省を待ちわびる歌が記されていた。直筆では最も古いという。研究者は「浪漫主義の作品を生んだ歌人晶子の誕生前夜を考える上で重要な資料だ」としている。
市によると、手紙の日付や切手の種類などから、最初の歌集「みだれ髪」(1901年)発表の3年前の98年7月11日に書かれたとみられる。
当時、秀太郎は東京帝国大で電気工学を研究していた。晶子は手紙で「待ちに待った7月になったが、兄から帰省日の知らせがないので心細い」などと書き出し、短歌を詠んだ。
(毎日新聞記事)
その歌が、今回見つかったこの歌です。
よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君
恋の歌を詠むことを嫌った兄
しかし、「よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君」が送られたのは、与謝野晶子の実の兄。なんだか変だとは思いませんか。
実際にも兄がいつ来るか、いつ来るかと待ちわびており、慕っていたのはうれしく思わなくもないでしょうが、「恋こふらしと しるらめや君」と呼び掛けられて、喜ぶお兄さんがいるとしたら、いくらか変わっていると言えなくもありません。
結局、結婚を機に兄妹は絶縁となってしまったのでした。
明星派の短歌
そして、このような作風が、明星派と呼ばれた新詩社の作風の一つの特色であろうと思います。同じ派内でないとわかりにくい難解な作品も多かったようです。
この3年後に出版される「みだれ髪」が賛否両論あり、写実派からは批判を受けたのも、作風の違いによるものなのですね。
与謝野晶子自身が、後で相当の改作を加えて、一般にもわかりやすいものとして再版もしたようです。
今回発見された歌は、その最初の習作期のものと言われています。
今回の歌の評は太田登・天理大名誉教授(日本近代文学)によると、
「前段は七夕、天の川というテーマに沿う伝統的手法で旧派から抜けきれていないが、後段の問いかける表現に後の晶子らしさが見いだせる」
という風に説明されています。
与謝野晶子について
1878~1942年。夫で歌人の与謝野鉄幹とともに、「浪漫主義」を代表歌人。
代表作歌集「みだれ髪」「君死にたまふこと勿」。