万葉集の桜の和歌にはどんなものがあるでしょうか。
新元号「令和」に由来する万葉集の「梅花の歌三十二首」は梅を詠んだものですが、今の季節、万葉集の桜の短歌を集めてみました。
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万葉集の桜の歌
万葉集から、掲載順に桜の花を詠んだ短歌と、その現代語訳を記載します。
たくさんありますので、代表的なものをあげれば、山部赤人と大伴家持の歌をあげます。
あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも 1425
作者:山部赤人
現代語訳:山の桜花が幾日も続けて咲いていたら、ひどく恋しくは思わないだろう
花の季節が短いからこそ、こんなにも恋い慕う気持ちが募るのだ、という意味を、反語で表現しています。
足引の山桜花一目だに君とし見てば吾(あれ)恋ひめやも 3970
作者:大伴家持 おおとものやかもち
現代語訳:山の桜花を一目あなたとともに見られたら、こんなにも花が恋しいと思うでしょうか。
家持と大伴家主が手紙のやり取りに歌を書き送ります。家持は重い病気になり、桜の花を見にもいかれないことを、家主が案じ、桜の花を見せたいという意味の歌を書き送ります。
家持はそれに応えて、上の歌で、「ご一緒に山桜が見られたら、花が見たいとは思うでしょうか。思わないのに」、あなたとさえ見られたら花を恋しいとは思わない、とこれも反語で強く表現をしています。
「めやも」というのは、「思うでしょうか…思わない」という、これが、反語表現といいます。
ここからは他の歌をあげます。
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 0829
作者:薬師張氏福子 くすしちょうしのふくし
現代語訳:梅の花が咲いて散ったら、桜の花が続いて咲きそうになっているではないか
「梅花の歌32首」中の1首
阿提(あて)過ぎて糸鹿(いとか)の山の桜花散らずあらなむ還り来むまで 1212
作者:古歌集
意味:あてを過ぎて糸鹿の山の桜花よ 散らずにあってくれ帰ってくるまで
去年(こぞ)の春逢へりし君に恋ひにてき桜の花は迎へけらしも 1430
作者:山部赤人
現代語訳:去年の春、お会いした君を恋い慕って、桜の花はお迎えにやって来たらしい
花が咲いたことがあたかも君を迎えるように擬人的に表現したものです。
1440 春雨のしくしく降るに高圓(たかまと)の山の桜はいかにかあるらむ
作者:河邊朝臣東人 かはへのあそみあづまひと
現代語訳:春雨がしきりに降っている今頃 高円の山の桜は どんなであるだろう
高円は高円山(たかまとやま)。 奈良市にある山のこと。
1456 この花の一節(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言ぞ隠(こも)れるおほろかにすな
作者:藤原朝臣廣嗣 ふじわらのあそんひろつぐ
現代語訳:この花の 枝の一つに いろいろな言葉がこもっているよ なおざりに思ってくれるな
1457 この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
作者:娘子 (不明)
現代語訳:この花のひとよの中とやらは、様々の言葉を抱えきれなくて折られたのではありませんか
上の歌へ答える歌
1458 屋戸にある桜の花は今もかも松風疾(いた)み土に散るらむ
作者:厚見王
現代語訳:お宅の桜の花は今頃は松風がはげしくて 地上に散っていることでしょうか
1459 世の中も常にしあらねば屋戸にある桜の花の散れる頃かも
作者:久米女郎
現代語訳:人の世も不定(ふじょう)なものですから、わが家の桜の花も散ったこのごろです。
1750 暇(いとま)あらばなづさひ渡り向つ峯(を)の桜の花も折らましものを
作者:高橋虫麻呂
現代語訳:暇があったら川を渡って 向うの峰の桜の花でも折れるのだが
1752 い行き逢ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ子もがも
作者:高橋虫麻呂
現代語訳:行き逢いの坂の麓に咲き乱れている桜の花を誰かかわいい子に見せてやりたい
「行き逢いの坂」とは国境の坂のこと
1776 絶等寸(たゆらき)の山の峰(を)の上(へ)の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
作者:播磨娘子 はりまのおとめ
現代語訳:絶等寸(たゆらき)の山の頂の 先らの花が咲く春ごろになったらあなたは思い出してくださることでしょう
1854 鴬の木伝(こづた)ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
作者:未詳
現代語訳:うぐいすの伝いゆく梅が散りがt内生ると桜の花の時が近づいた
1855 桜花時は過ぎねど見る人の恋の盛りと今し散るらむ
作者:未詳
現代語訳:桜花の時は過ぎないのに、見る人の惜しむさかりだと思って、今こそ散るのだろう
1864 あしひきの山間(やまかひ)照らす桜花この春雨に散りにけるかも
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:山あいを照らす桜の花はこの春雨に散りゆくことだろうか
1865 打ち靡く春さり来らし山の際の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:春が来たらしい山の端の遠い桜の梢が、咲いていくのを見ると
「うちなびく」は春にかかる枕詞
1866 雉(きぎし)鳴く高圓(たかまと)の辺(べ)に桜花散りて流らふ見む人もがも
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:雉の鳴く、高窓のあたり、作は花が流れるように散っている 見る人があればいいのに
1867 阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらむ見る人なしに
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:阿保山の桜の花は今日あたり散り乱れていることだろう 見る人もなくて
1869 春雨に争ひかねて我が屋戸の桜の花は咲きそめにけり
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:春雨に逆らいかねて家の庭の桜の花はほころび始めた
1870 春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:春雨よひどくは降るな 桜花が まだ見ないうちに散るのは惜しい
1871 春されば散らまく惜しき桜花しましは咲かず含(ふふ)みてもがも
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:春が来ると散るのは惜しい桜の花 しばらくは咲かずに蕾のままでいておくれ
1872 見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
作者:柿本人麻呂歌集
現代語訳:見渡せば春日の述べに霞が立ち 先輝いているのは桜花であろうか
2617 あしひきの山桜戸を開き置きて吾(あ)が待つ君を誰か留むる
作者:未詳
現代語訳:山桜の戸を開けたまま私が待っているあの人を誰が引き留めているのだろう
3129 桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく
作者: 柿本人麻呂歌集
現代語訳:桜の花が咲き散るのかと思うほどに 誰だろうここに見えて散ってゆくのは
旅する人々が往還離散する様を見てはかなみ、慌ただしく散る桜に例えて詠んだ歌
3786 春さらば挿頭(かざし)にせむと吾(あ)が思(も)ひし桜の花は散りにけるかも
作者:未詳
現代語訳:春になったら、かざしにしようと私が思っていた、桜の花は散っていったことだ
3787 妹が名に懸かせる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに
作者:未詳
現代語訳:あの娘の桜児(さくらこ)という何ゆかりある桜の花が咲いたら、ずっと恋い慕うことであろうか毎年のように
この恋うは死んだ人への思慕を指す
3967 山峡(やまかひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
作者: 大伴池主
現代語訳:山あいに咲いている桜を一目だけ、あなたにお店出来たら何を不足に思いましょう。
大伴家持宛ての手紙。見せてやれないことを残念がって言う。
4074 桜花今そ盛りと人は言へど吾(あれ)は寂(さぶ)しも君としあらねば
作者: 大伴池主
現代語訳:桜花は今こそ満開だと人は言いますが、私はさびしい。あなたと一緒でないので
4077 我が背子が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ含(ふふ)めり一目見に来ね
作者:大伴家持
現代語訳:あなたの以前の屋敷の桜花はまだ蕾のままです 一目見においでなさい
4151 今日のためと思ひて標(しめ)しあしひきの峯上(をのへ)の桜かく咲きにけり
作者:大伴家持
現代語訳:今日の日のためにと思って標(しめ)をした 峰の桜はこんなにも咲いた
「標し」は花瓶に差すことを言う。3月3日の節句に花を生けたことをいいます。
4361 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなべ
作者:大伴家持
現代語訳:桜花は今満開だ 浪速の海の輝く宮に都なさるおりしも
「聞しめす」は「統治する」の意味。
4395 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに
作者:犬養浄人
現代語訳:龍田山を越えながら見た桜は花は散り果てるのではなかろうか 私が帰るまでに
下総の防人歌。「過ぎる」は「なくなる」の意味。
遠くに赴任するに際し、故郷を離れることを桜に託して表現したものです。
以上、万葉集の桜を詠んだ短歌です。どうぞ花の季節にこそ鑑賞されてください。