大伴旅人の妻の和歌「亡妻挽歌」全11首  

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大伴旅人の妻の和歌「亡妻挽歌」全11首

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大伴旅人の万葉集の妻の和歌「亡妻挽歌」全11首は旅人の代表作の一つ。

大伴旅人は新元号「令和」の由来する万葉集の「梅花の歌32首」の序文作者です。

この記事では、大伴旅人が亡くなった妻を詠んだ和歌としてしられる連作の現代語訳と解説を記します。

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万葉集の「挽歌」について

亡くなった人を詠む短歌は「挽歌」と言われ、万葉集の相聞、雑歌と並ぶ3大ジャンルの一つです。

万葉集には4500首の和歌のうち、挽歌は218首があるといわれています。

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亡き妻を詠む「亡妻挽歌」

その中でも妻への思慕を詠んだ短歌は「亡妻挽歌」と呼びならわされており、大伴旅人の他、山上憶良、柿本人麻呂などの有名な歌人が詠んでいます。

大伴旅人「亡妻挽歌」について

「梅花の歌三十二首」の「後に追和する四首」の旅人の歌も、梅と亡くなった妻を重ね合わせたものです。

その四首以外にもある、大伴旅人の亡くなった妻を詠んだ歌、「故人(すぎにしひと)を思び恋ふる歌3首」「京(みやこ)に向かいて道に上る時に作る歌5首」「故郷の家に帰り入りて作る歌3首」全部で11首をご紹介します。

なお、この中で、もっともすぐれた歌として知られているのは、「京(みやこ)に向かいて道に上る時に作る歌5首」の「鞆の浦を過ぐる日に作る歌」の「我妹子が見し鞆之浦の室の木は常世にあれど見し人ぞなき」を含む3首です。

下にあげる4番目です。

 

愛(うつく)しき人のまきてししきたへの我が手枕をまく人あらめや

読み:うつくしき ひとのまきてし しきたへの わがたまくらを まくひとあらめや

438 作者 大伴旅人

現代語訳

愛しい妻が枕にして寝た私の手を 枕にする人が他にあるだろうか。ありはしないのだ。

解説と鑑賞

「太宰帥大伴卿(だざいのそちおおともきょう)の故人(すぎにしひと)を思び恋ふる歌三首」の詞書があるその一首目。

「しきたへの」は手枕の枕詞で、「まく」とは、「枕にする」という意味のことです。

私の手を枕にする」とは、他の女性と共寝をするということですが、「あらめやも」は、「あるだろうか、ありはしない」の帰結を招く言葉なので、妻以外の女性と寝ることも親しくすることもないという、妻への強い思慕を表したものです。

 

帰るべき時はなりけり都にて誰が手本(たもと)をか吾(あ)が枕かむ

読み:かえるべき ときはなりけり みやこにて たがたもとをか わがまくらかん

439 作者 大伴旅人

現代語訳と意味

帰京できる時期とはなったが、都で誰の腕を手枕に私は寝られようか。もうその人はいないのに。

解説と鑑賞

「京(みやこ)に向かう時に近づきて作る歌」二首のうちの一首。

都を離れて、大宰府に赴任してまもなく妻が亡くなり、旅人は念願の帰京の時を迎えます。

しかし、一緒に帰るべき妻は亡くなってしまっており、都に帰っても、妻がいない悲しみを示す歌です。

「手本」というのは、着物の手を覆っている腕のことです。それを「まく」とは枕にするという意味になります。

「手枕」には、男女の性的な関係ももちろんあるわけですが、万葉集の時代には、男女の愛情は肉体的なものも含めて、たいそうおおらかに歌われています。

この一連では、そのような伝統的な表現の継承が見られます。

 

都なる荒れたる家に独り寝ば旅にまさりて苦しかるべし 

読み:みやこなる あれたるいえに ひとりねば たびにまさりて くるしかるべし

440 作者:大伴旅人

現代語訳

都の荒れた我が家に一人で寝たら、旅で寝るよりなおいっそうつらいだろう。

解説と鑑賞

「京(みやこ)に向かう時に近づきて作る歌」二首のうちの2首目。

九州から奈良まで、船や馬に乗っての旅は一体どれだけの日数がかかったのでしょうか。旅路は大変なものですが、その旅の辛さよりも、家に着く方がもっとつらい。

旅の終わりに着いてほっとするべき家においても、妻はおらず、家も荒れ果てる。待ちわびていた帰京であっても、あ今更帰っても一人であることが一層身に染みるだろう。

帰るに際してそれらの気持ちを切々と歌っています。

ここまでが「故人を偲び恋うる歌3首」です。

 

「鞆の浦を過ぐる日に作る歌」

ここからが有名な鞆の浦の歌3首です。

我妹子が見し鞆之浦(とものうら)の室の木(むろのき)は常世にあれど見し人ぞ亡き 

読み:わぎもこが みしとものうらの むろのきは とこよにあれと みしひとぞなき

446 作者:大伴旅人

現代語訳

わが妻が見た鞆の浦のむろの木は今も変わらずにあるが、見た妻はもはや世にはいない

解説と鑑賞

「太宰帥大伴の卿の京(みやこ)に向かいて道に上る時に作る歌五首」の中の「鞆の浦を過ぐる日に作る歌」3首の内の1首目。

秀歌として多くの解説書にも取り上げられている歌です。

むろの木とは杜松と言われる常緑樹で、おそらく大樹であり、旅人夫妻は、大宰府に向かう船旅の途中、ここに立ち寄って上陸、木を眺めたのでしょう。

「常世」は「とこよ」との読み。「我妹子」と「人」は同じ妻を指します。

上句の実際の地名と具体的な行為は現実感があり、その上で、室の木はあの時も今も、ずっとあり続けているのに、わずか数年前にその木を共に見た妻はいないと嘆く。

結句の「見し人ぞ亡し」には、深い悲嘆の気持ちがこもっており、調べも内容も深く胸に沁みる歌です。

 

鞆之浦の磯の杜松(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも 

読み:とものうらの いそのむろのき みんごとに あいみしいもは わすらえめやも

447 作者:大伴旅人

現代語訳

鞆の浦の磯のむろの木を見るたびに、これを一緒に見た妻が忘れられようか 必ず思い出すだろう。

解説と鑑賞

「めやも」は反語で、「忘れられるだろうか、いいや忘れられやしない」を短く言う時の表現です。

 

磯の上(へ)に根延(は)ふ室の木見し人をいかなりと問はば語り告げむか 

読み:いそのえに ねはうむろのき みしひとを いかなりととわば かたりつげんか

447 作者:大伴旅人

現代語訳

磯の上に根を張っている室の木にかつて一緒に見た人のことを、どうしているかと尋ねたら教えてくれるだろうか。

解説と鑑賞

万葉の時代には、死者については、万葉時代の人は今と違った独特の対し方をしていました。

亡くなった人の魂に対して、なんとかもう一度、蘇ってほしいというものです。

上の歌は、妻がどこかに暮らしているかのような幻想が見て取れます。またそのために、木を擬人化して、木にも魂があるかのような、呼びかけ方をしていることも見て取れます。

 

妹と来(こ)し敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも

読み:いもとこし みぬめのさきを かえるさに ひとりしみれば なみだぐましも

449 作者:大伴旅人

現代語訳

妻と来た 敏馬の崎を帰りがけに一人で見ると、涙が出そうだ

解説と鑑賞

「敏馬の崎に過る日に作る歌」2首の1首目

「帰るさ」の「さ」は「・・・時」の意味の接尾語。

来るときは妻と一緒に見たのに、たったひとりでこれを見なければならない。

切々とした訴えに胸が迫ります。

斎藤茂吉の評

斎藤茂吉はこの歌について「万葉秀歌」で

この歌はあまり苦心して作っていないようだが、声調に細かい揺らぎがあって、奥から滲出で来る悲哀はそれに基づいている。あまり速く走り過ぎる欠点があったが、この歌にはそれが割合に少ない。そういう点でもこの歌は旅人作中の佳作ということができるであろう

と述べています。

 

行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも 

読み:いくさには ふたりわがみし このさきを ひとりすぐれば こころがなしも

450 作者:大伴旅人

現代語訳

いきがけに妻と二人で見たこの先を、一人で過ぎるので心悲しいことだ

解説と鑑賞

「敏馬の崎に過る日に作る歌」2首の2首目。

1首目の歌のバリエーションです。

同様に心に迫る、哀れ深い歌の内容となっています。

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人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり 

読み:ひともなき むなしきいえは くさまくら たびにまさりて くるしかりけり

451 作者:大伴旅人

現代語訳

人もいない空しい家は、旅にもまして苦しいことだ

解説と鑑賞

「故郷の家に帰り入りて作る歌3首」の冒頭。

「草枕」は旅にかかる枕詞。

家に戻ってみても、大事な妻がおらず、空しさばかりの家を嘆く歌です。

この時代には奥方「家刀自」の存在が大きいものがありました。宗教的な大切な行事も交えて、家の経営を取り仕切る役目もありました。

こまごまと立ち働き、たよりになる妻がいない家は、わびしく苦しい旅と比べても、それ以上に苦しく思われるという嘆きです。

「旅」という誰にも大変さがわかるものを引き合いに出しているので、その苦しさが強く伝わります。

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妹として二人作りし吾(あ)が山斎(しま)は木高(こだか)く繁くなりにけるかも 

読み:いもとして ふたりつくりし あがしまは こだかくしげく なりにけるかも

452 作者:大伴旅人

現代語訳

妻と二人で作った、我が庭は、木立が高くこんもりとなったことだ

解説と鑑賞

「故郷の家に帰り入りて作る歌3首」の2首目。

亡くなった妻が生きている時に、2人で作った庭のその木が、こんなにも大きくなったという事実を述べています。

時間の経過を盛り込んでいますが、木の高さが、そのまま悲しみが積もったものであるかのようにも思えます。

妻と一緒にしたことを一つ一つ思い出し、愛おしく思いながらも悲しみが尽きないでいる。その心境があまさず歌に現れています。

 

我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽(む)せつつ涙し流る 

読み:わぎもこが うえしうめのき みるごとに こころむせつつ なみだしながる

453 作者:大伴旅人

現代語訳

妻が植えた梅の木を見るたびに 胸が詰まって涙が流れる

解説と鑑賞

「故郷の家に帰り入りて作る歌3首」の3首目。

「心むせつつ」は、ものがのどに詰まるように胸がいっぱいになったという意味。

「梅花の歌三十二首」とその「後に追和せし四首」において、梅の花と妻を関連して詠まれていましたが、この歌は「妻が植えた」と直截に梅の花とのつながりを持たせています。

また心情の点でも率直に、「涙し流る」と簡潔に自分の悲しみを視覚化して終えています。

旅人文学の帰結の連作

これらの亡妻挽歌は、自然な心情の流露でありながら、歌人としての意識に裏打ちされており、古くから伊藤左千夫などが、「鞆の浦のむろの木」などは、最初から連作として作成したとの見方を述べています。

亡妻の嘆きを一貫させつつ、都に向かって旅立ち、家に帰りつく、までの時間的経過の元に連続した八首として、その前の「故人を思い恋うる歌三首」もここに直結して味わうべきという意見です。

しかし、最初の3首は、妻の死という私小説的世界でありながら、「手枕」といった常套句を交えるなど、文学的創作的表現をも志した連作と考えられるでしょう。

後半は、「空しき家」での心情など、旅人の独自の世界への深まりが見られます。

この一連は、筑紫時代を総括した都の作として、旅人文学の帰結であると位置づけられるもので、繰り返し味わいたい旅人の代表作の一つです。




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