万葉集 令和

「令和」序文作者 大伴旅人の梅の短歌「後に梅の歌に追和せし4首」解説

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こんにちは、まるです。
新元号「令和」の由来となる「梅花の歌32首」序文、作者の大伴旅人は、序文の他32首の中にも歌を一首、さらに32首の後に梅の短歌4首を追加しています。

大伴旅人の「後に梅の歌に追和せし4首」の短歌について解説します。

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万葉集「梅花の歌三十二首」他

「梅花の歌32首」の後には、「員外 故郷を思う歌両首」として2首が追加されており、その後にさらに「後に梅の歌に追和せし4首」というのが続き、これらを含めて一続きの「梅花の歌」としても読むことができます。

万葉集の「梅花の歌32首」序文全文と現代語訳

万葉集の梅の短歌・和歌 新元号「令和」の由来と「梅花の歌」32首 

「後に梅の歌に追和せし4首」作者

「梅花の歌32首」の後の、「員外 故郷を思う歌両首」と「後に梅の歌に追和せし4首」の作者は、両方とも大伴旅人と言われています。

「員外」の方は、以前は山上憶良説もありましたが、そちらも含めて旅人説が有力とされています。

 

「後に梅の歌に追和せし4首」成立の次第

三十二首の後に、さらに、旅人の手で四首の梅の花の歌が記されていますが、それを詠んだのは次のような次第ではないかと思います。

「梅花の歌三十二首」の中の大伴旅人の歌、

「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 」

は、その4首前に詠まれた山上憶良の

「春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ」

に呼応するものだと申し上げました。

すなわち、九州、大宰府に赴任してまもなく、大伴旅人は妻を亡くしてしまいます。憶良の歌「我が園にー」は「庭の梅を独り見ながら暮らされるのでしょうか。ご心中深くお察しします」として、旅人の心情を深く思いやるものだということです。

憶良のその歌に対して、旅人の歌は、最初に述べる中国の「落花の篇」の風雅に倣う、この歌会のコンセプトを踏襲しながら、憶良の思いを察した受け答えを含む歌として詠じた印象があります。

そもそも、この梅の宴は、あくまで公のもので、お客をおもてなしするものでもありましたので、私情を表現することが目的ではありませんでした。

それに続くこの4首において、旅人は、「梅花の歌」の作品と同じ「梅」と「雪」のモチーフを継ぎながらも、今度は亡くなった妻への思いを、強く打ち出して歌っています。

「梅花の歌32首」の中の旅人の歌「我が園にー」が、「公」を意識した歌なら、「後に梅の歌に追和せし4首」は「私」の歌だとも言えます。

大伴旅人「梅花の宴」の短歌解説/我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも

 

大伴旅人の「後に梅の歌に追和せし4首」

こちらが、大伴旅人の、その4首になります。

残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも 849
雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも 850
我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも 851
梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ 852

「後に梅の歌に追和せし4首」現代語訳と解説

残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも 849

読み

のこりたる ゆきにまじれる うめのはな はやくなちりそ ゆきはけぬとも

現代語訳と意味

残っている雪に混じっている梅の花よ 早く散ってくれるなよ。雪は消えても

解説

「残りたる雪」は漢語「残雪」の和訳。

白梅の落花を地上の残雪と同じように見立てて、雪と比べることで、花が散らないでくれとの願いを強調します。

「雪は消ぬとも」と倒置形にすることで、余韻を残しています。

 

雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも 850:

読み

ゆきのいろを うばいてさける うめのはな いまさかりなり みむひともがも

現代語訳と意味

雪の色を奪って咲いている梅の花は いま満開だ 見る人があればよいのに

解説

4句切れ。結句は倒置です。

雪の「色を奪って咲く」というのは、漢語の「奪」の用法からの発想とされ、「雪の色を奪って雪よりも白く」という意味になるといいます。

いずれにしても、色にポイントを置き、満開の梅の白い色を強調しています。

「見る人もがも」の「がも」というのは、「…が欲しい」ということで、その満開の花を見る人があればいい」という意味とです。

これも、「梅花の歌32首」の中の、憶良の歌「独り見つつや」にも呼応する内容です。

 

我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも 851:

読み

わがやどにさかりにさける うめのはな ちるべくなりぬ みむひともがも

現代語訳と意味


我が家に今満開の梅の花が散りそうになった 見る人があれば良いのに

解説

850を変化させたもの。

850が「雪の色を」と、漢詩の梅と雪のモチーフで始めたのに対して、こちらは「我がやどに」と、自分の住まいである詩的空間を指す初句で始まり、「私」の要素がずっと強くなっています。

そこに「見る人もがも=見る人があればいいのに」というのは、場所が「我がやど」であるだけに、妻など親しい人をさすという連想が詠み手に自然にはたらきます。

「見る妻があればいいのに」ということなら、「梅花の歌32首」の中の、上の憶良の歌「我が宿に…独り見つつや」にも呼応する内容です。

そして850の「梅の花今盛りなり」に対して、「梅の花散るべくなりぬ」は、満開になって散るという時間順でもあり、また、「散る」が人の死、すなわち亡くなった妻をも容易に連想させるでしょう。

 

梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ

一に云う 「いたづらに我を散らすな酒にうかべこそ」  0852

読み

うめのはな ゆめにかたらくみやびたる はなとあれもう さけにうかべこそ

現代語訳と意味

梅の花が夢で語りかけるには「みやびな花だと自分でも思います。お酒に浮かべてくださいな」

「無駄に私を散らさないで酒に浮かべてくださいな」

解説

この4首目はおもしろい歌で、夢で、梅の花が話すという場面です。

「みやび」は、当時、中国的な趣味にあふれることを言いました。また、酒に花を浮かべることも、中国的な風流であったようです。

なので、おもしろい発想の歌ではあっても、やはり中国的なモチーフをこの歌も継いでいるわけです。

歌の後に「一に云う 『いたづらに我を散らすな酒にうかべこそ』」という付記は、3句以下を「無駄に散らさないで」と言い換えているものです。

また、この梅の花との会話は、現実には言葉を交わすことのできない亡妻との対話の夢想にも通じるもので、梅の花について詠みながら、それに妻が重なっているという、旅人のダブルイメージも伝わってきまs。

4首の構成と特徴

4首をもう一度上から読むと、一面で私的な心情の深まりを見せながらも、盛りの梅がやがて散り、散った後までが、時間順に構成されていることがわかります。

また、「梅花の花32首の」序文にもあった「落花の篇」、すなわち「中国的な雅(みやび)」が一連の歌のコンセプトとして、通底しており、これらの歌は、私的な心情を興に乗って述べたというのではなく、もっと意識的に構成された一連だということもわかるでしょう。

こうして、「梅花の歌32首」は、宴の歌の記録だけでなく、詩的な見事な序文と、そして、これらの二連の歌6首を後記のように追加の上で、さらなる雅が心ゆくまで追及されて、一つのまとまりとして万葉集に収録されているものなのです。

どうぞ、「梅花32首」と合わせて、こちらの4首も味わってみてくださいね。





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