「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日」石川啄木の歌集「一握の砂」より有名な短歌代表作品の現代語訳と句切れ、表現技法などについて解説します。
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砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日
読み)すなやまの すなにはらばい はつこいの いたみをとおく おもいいずるひ
作者
石川啄木 『一握の砂』
現代語訳と意味:
砂山の砂に腹ばいになって、初恋の痛みを遠く思い出していたあの日よ
語の意味と文法解説:
難しい言葉は特にありません
「思ひ出づる」は「思い出す」の意味
出るの文語は「出(い)づ」
表現技法と句切れ:
句切れなし
「日」の名詞で終わる体言止め
解説と鑑賞
明治43年、冒頭より6首目の作品となる。この歌集「一握の砂」の最初が「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」、次「頬につたふなみだのごわず一握の砂を示しし人を忘れず」。
この一首前が「ひと夜さに嵐来りて築きたるこの砂山は何の墓ぞも」であり、この歌集のタイトルにもある「砂」が、これらの「歌」を指していることは歴然としている。
それに従って解読してみると、「砂山」というのは、累累と横たわる短歌であり、それは、啄木の「墓」であった。
啄木にとっては、短歌は望まれる文学の表現形式ではなかったのである。短歌は、啄木の文学的野心の捨て所であった。
すると、「初恋」の示すものは、啄木の文学への憧れであったとも言える。
「いたみ」の示すもの
「いたみ」という通り、この「初恋」は成らなかった、すなわち、啄木の文学的野心は成就しなかったのである。
啄木は己の文学的野心を、同じく文学の章形式である短歌に代替して、その喪失感を歌ったのがこの歌である。
しかしながら、この短歌の単体での鑑賞においては、これは「初恋」を詠んだ短歌だと思われており。それも誤りというわけではないだろう。
とにかくも、この夜に「百あまり」も立て続けに詠んだ短歌をまとめて、歌集が生りたった。啄木がもう少し長く生きていたら、あるいは初恋の成就を呼んだ日が来たかもしれない。
石川啄木の短歌一覧