『牧水の恋』俵万智 若山牧水の恋の伝記  

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『牧水の恋』俵万智 若山牧水の恋の伝記

2019年6月18日

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若山牧水の初期の作品は、ある一人の女性との恋愛に基づくものです。

歌人の俵万智さんが若山牧水の恋愛の軌跡を短歌から読み解く『牧水の恋』から、牧水の恋愛と失恋の短歌を拾ってみます。

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若山牧水 園田小枝子との恋愛

若山牧水の恋愛は、大学時代にある女性と知り合うところから始まります。

容姿の美しい人だったそうで、牧水は一目惚れの上、交際を深めていき、その女性、園田小枝子との結婚を考えるまでになります。

ところが残念なことに、牧水が結婚を申し込もうとする段になって、小枝子が既婚者であり、夫も子供もいることが判明します。

もっとも小枝子の方は、騙すつもりではなく、夫との関係はなかば破綻していたのかもしれません。

小枝子は同時に、庸三という、滞在先の家の親類の男性とも交際しており、結局、庸三と結婚しています。

その時既に、庸三の子か、牧水の子かわからない子どもを宿していたために、牧水の苦悩は深くなってしまいました。

後年の談話によると、牧水は晩年に至るまで、小枝子の行く末を案じていたようです。

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恋愛が牧水の短歌の糧に

この恋愛は牧水の心身両方に深い傷を残すことになりましたが、 牧水の代表作や初期の傑作は美奈子の恋愛を通じて生まれたものだということは明らかであり、牧水にとってこの恋愛が必ずしもマイナスだったとは言えません。

作品を作る人にはそのような強みがあるということを改めて感じさせられます 。

その時期の牧水の恋愛の短歌、特に恋愛の苦悶を 詠ったものには、恋愛に浮かれている時以上に、深い洞察が含まれているものがあります。

この項では主に牧水の、苦しい恋愛と失恋に関する短歌を、俵万智さんの『牧水の恋』を元にご紹介していきます。

 

若山牧水の恋愛の短歌

小枝子とは関係が進展しないながら、牧水は彼女を慕う気持ちが止まない、そんなときの歌からです。

わかれきて幾夜経ぬると指おれば十指に足らず夜の長きかな

恋人と別れてきて幾夜がたったことだろう。指を折って数えてみるとまだ10日にもなっていない。それにしても何と長い夜であることか。

ゆるしたまへ別れて遠くなるままにわりなきままにうたがひもする

そうして長いこと分かれていると、どうしようもなく疑いの心が湧いてきてしまう

わかれては十日ありえずあはただしまた碓氷越え君見むと行行く

恋人と別れては十日と気持ちが持たない。また慌ただしくも、碓氷峠を越えて君に会いに行く

胸にただわかれ来しひとしのばせてゆふべの山をひとり越ゆなり

こちらは、恋人に会って、東京まで帰ってくる時の歌。

胸の中にただ別れてきた人の面影をひっそりと包み持つようにして、夕方の山を一人で越えるのだ。

牧水の絶望 小枝子は既婚者であった

しかしその先の歌を見ると、どうもこのあたりで、小枝子が 結婚していたということを牧水が知ったことを伺わせる歌が並んでいます。

なにものに欺かれ来しやこのごろやくやし腹立たし秋風を聴く
長椅子にいねてはつ冬ゴム午後の日を浴ぶるに似たる恋づかれかな
ものごとにさびりかりしは 昨日なりけふは寂し淋しといふさえも憂し

一生懸命に1分1秒後の惜しむように相手のことを思っている牧水でしたが、その気持ちにも陰りが見えてしまう、その状態を「恋づかれ」と表現しています。

もう以前のように自分から碓氷峠を越えて会いに行こうという気力も失った牧水は次のような歌を詠みます。

わが住むは寺の裏部屋庭もせに白菊咲けり見に来よ女

それでも、相手に会いたい気持ちがあるのですね。

牧水の失恋への滑降

その後牧水は東京へ出て、新たな下宿を借ります。

俵万智さんは、これを「新婚の家」の心づもりで借りた、と説明していますが、 相手は人妻であることが分かった今では、牧水の気持ちにブレーキがかかっても仕方ありません。

山死にき海また死にて音もなし若かりし日の恋のあめつち

以前の自分の歌の本歌取りですが、「世界の全てが死んでしまったように音もない」という表現 はその時の心境に添う表現です。

恋というものなりしかや髪ながきわかき女の香に酔ひてしは

そして牧水はそれまでは「恋」と呼んでいた、その気持ちそのものをも薄れていってしまうようです。

海辺へ旅行に出かけて憂いごとを忘れようとしますが、かつて小枝子との恋愛が海が舞台だっただけにそうそう忘れられるものではありません。

海に行かばなぐさむべしと直(ただ)おもひこがれし海に来は来つれども

「来は来つれども」の結句は音の重なりと余韻が絶妙です。

けふもまた変わることなき荒海のなぎさを同じわれが歩めり

こちらも内省的、どこか実存的な雰囲気のある一首です。
海に来れば気持ちが晴れるかと思ったが、変わらず相手を思っている自分がいる、ということをやや遠回しにに述べているようです。

牧水はこの後も、小枝子の居ない心境を詠み続けて行くのです。この続きは次の記事に書きます。

『牧水の恋』俵万智著について

『牧水の恋』は俵万智さんの詳しい解説が一首ずつ短歌に添えられており、牧水の恋愛の軌跡がこれも良くわかるように書かれています。

牧水の初期短歌、「恋愛」が主題の本ではありますが、それだけではない若山牧水の短歌の魅力が堪能できますので、ぜひお手にとってお読みください。




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