友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ/石川啄木/意味と句切れ  

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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ/石川啄木/意味と句切れ

2019年6月4日

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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

石川啄木の歌集「一握の砂」より有名な短歌代表作品の現代語訳と句切れ、表現技法などについて解説、そのうちの「妻としたしむ」の真の意味を探ります。

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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

読み)ともがみな われよりえらく みゆるひよ はなをかいきて つまとしたしむ

作者

石川啄木 『一握の砂』

現代語訳と意味

友だちが皆ことごとく自分より偉く見える日だ そんな日には花を買ってきて妻と親しみ、その寂しさを紛らわすことだ

語の意味と文法解説

・見ゆる…「見える」の文語 連体

・見るの基本形は文語では「見ゆ」

・買い来て…複合動詞 買ってきて

・したしむ…親しむ うち解けて仲よくする

表現技法と句切れ

3句切れ

 

解説と鑑賞

明治43年10月13日夜の作品。

友との身の上の比較

「友がみなわれよりえらく」というのは、人と自分との比較であるが、大言壮語が持ち前の作者も、現実の友を見ると否応なく気鬱に陥らざるを得なかったのだろう。

この比較というのは、友との比較だけではなく、過去の自分自身のことでもあった。

石川啄木の神童体験

啄木の歌で目立つのは、子どもの時の「神童体験」であって、その頃は、啄木の父も住職として尊敬される立場にあった。

啄木の人格はともかくとしても、生家の没落には痛ましい部分がある。

それ以上に、啄木自身の思い出として、少年期の成績が優秀であったことが、啄木にとっては生涯固執するべきことであったようである。

「花を買いきて」の疑問

「花を買いきて」というのは、なんとも愛妻家のイメージだが、啄木が本当に妻に花を買ってきたことがあるのだろうか。

実際の啄木の生活はもっと貧しく、生活に必要のないものを買う余裕があったとも思えない。

しかし、友の身の上を思うほどに自身が小さく思えて、家にこもらざるを得ない気持ちになり、普段ないがしろにしている妻と親しくしたい気持ちになる、つまり内向的な気持ちになったということであるとも思われる。

「妻としたしむ」の真の意味

「花を買いきて妻としたしむ」というのは、妻と積極的に仲良くしたいというのではなくて、外に居場所がなくなった時の作者の気持ちなのである。

東京に住まいを移した啄木一家

また、「花を買う」というのは、都会的なモチーフであるが、啄木はこの1年前、明治42年の6月に東京に家族を呼ぶ集め、そこで家を持っている。

家庭に視点を変えてこの歌を見てみると、困窮した生活以上に姑と妻の中が悪かったのはよく伝えられる話で、啄木にも時には妻に何かを買ってやりたい思いがあったのかもしれないし、また、そうしなければ家庭が保てなかったのかもしれないということも思い起こされる。

啄木の外向性

啄木の歌に「妻」が出て来るモチーフはこの歌くらいだろうか。家庭的な歌は、病床に付してからのその後の『悲しき玩具』の方にはあるものの、『一握の砂』においては、むしろ妻や家庭いがのモチーフの歌が圧倒的に多い。

そして、社会と家庭の対比だけではなく、啄木は良い意味で外交的な人であったようだ。

一方、決して家庭的な人ではなかったことは、そのほかの作品を読んでいる人なら、容易に思い起こせるだろう。

山本健吉の評

以下は、この歌に関する山本健吉の評より抜粋する。

誰でも経験する心理ではあるが、啄木はその気持ちの振幅がことに激しかった。自負心の強かった彼は、同時にその反動として、自信喪失の気持ちに打ちのめされることもしばしばだった。

かつて盛岡中学で机を並べた同窓生たちが、大学を出て社会育った噂を聞くにつけて、なすこともない自分の現在が寂しまれるのである。

 


 

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