短歌・和歌

スペイン風邪にかかった芥川龍之介の俳句と辞世の句

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芥川龍之介がスペイン風邪に罹患した折に詠んだ俳句があります。

斎藤茂吉の『赤光』を高く評価し、自らも短歌の一種である旋頭歌を詠んでいましたが、俳句も作ったものが残されています。

芥川龍之介のスペイン風邪の俳句をご紹介します。

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芥川龍之介とスペイン風邪

新型コロナの感染で、それ以前の感染症の話題が取り上げられることも多くなりました。

新型コロナ以前の感染症と言えば、被害の大きさはやはりスペイン風邪が筆頭です。

先の記事では、斎藤茂吉がスペイン風邪に罹患した折の短歌作品を紹介しましたが、同じく罹患した芥川の俳句も見てみましょう。

スペイン風邪とはどんな病気か

そもそも、スペイン風邪というのはどんな病気かというと、これもインフルエンザの一種です。

発生したのは中国と言われていますが、患者一号が確認されたのはアメリカでした。

第一次世界大戦中で、報道がされなかったため、中立的な立場で患者を公表したスペインの国の名前で「スペイン風邪」と呼ばれたものです。

日本へは、海外巡業中の力士が持ち帰って国内に広まり、第3波まで40万人がなくなったとされます。

文学界では、茂吉も芥川もかかったということで、他に島村抱月が亡くなっていますので、今の新型コロナ以上に猛威を振るった感染症と言えます。

 

スペイン風邪にかかった芥川龍之介

芥川龍之介は、1918年11月のころに罹患が判明。友人への手紙で「僕は今スペイン風邪で寝ています」と通知をしたうえで、見舞いを断っています。

病状が重篤ではなかったと思われるのは、その手紙に下の俳句を書いているためです。

芥川龍之介の俳句

胸中の凩(こがらし)咳となりにけり

凩というのは、俳句の冬の季語。

この時の、芥川症状は熱と甚だしい咳であったようです。

これが18年11月2日のことです。

さらに、その翌日は、別な友人にあてて

凩や大葬(ひ)の町を練る

と書き、「まだ全快に至らず」、その手紙を寝ながらしたためたことも記しています。

「まだ全快に至らず」ならば、軽かったのかと思われますが、そうではなく、「僕のインフルエンザのぶり返しでひどく衰弱していた。辞世の句も作った」というのですから、死も覚悟したこともあったようです。

というのも、いったんは治ったものの、新型コロナにあるように2度目の感染が起こって、衰弱を余儀なくされたことがあるでしょう。

翌年3月の2度目の罹患時には、

思へ君庵の梅花を病む我を

としたためています。

私のいるところの梅の花、それから病中の私を察してください、との意味でしょう。

芥川の実父がスペイン風邪で逝去

そして、もっとも大変だったことは、芥川龍之介自身は回復したものの、芥川の実父がスペイン風邪で入院した3日後に亡くなってしまいます。

芥川は養子に出てしまったので、旧姓の名前の新原敏三が実父の名前です。

この話は、私は今回コロナの関連となるスペイン風邪の話題で初めて聞きましたし、wikipediaにも載っていません。

芥川にとって、血を分けた身内がいなかったことは、後年自殺に傾斜することとつながりがあるかもわかりません。

田端の家で暮らしていたのは、芥川の両親だったとはいえ、大変な力落としだったことでしょう。

芥川は精神疾患があった生母とは早く別れていますので、実質的な身内は父一人、そのためもあって、病院で寝泊まりして介護をしたというのですが、その甲斐なく実父は逝去。

病が迫ると、父敏三は家庭を持ったころの思い出話をして、涙を流したといいます。

芥川の母が健康であったなら、一人息子の芥川を養子に出すことはなかったでしょう。思えば悲しい父でありました。

長崎の斎藤茂吉と面会

その2か月後5月5日に、芥川は長崎を訪問。斎藤茂吉に面会します。

茂吉はその折は元気でしたが、翌年1月に、これもスペイン風邪にかかって、2月になるまで長期の療養を余儀なくされています。

芥川は、『長崎』と題する短い散文詩のようなエッセイに、長崎で見たものを並べます。

路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照ほてるけはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。

その中に茂吉のことを

『港をよろふ山の若葉に光さし……』顱頂ろちやうの禿げそめた斎藤茂吉。

とのみ、茂吉について書き留めた部分があります。

「禿げそめた」とは、もう少し何か書きようがなかったのかとも思いますが、会ったのは、長崎医学専門学校の中ということでわずかな間でもあったようです。

芥川の書き記した短歌様の部分、『港をよろふ山の若葉に光さし……』、斎藤茂吉で知られる長崎の短歌は「朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山」ですが、それとは違うもので、芥川が自ら想起したものかもしれません。

芥川の辞世の句

芥川の辞世の句というのは、

水洟や鼻の先だけ暮れ残る

とも言われています。「辞世の句」というのを否定する指摘もありますが、亡くなる前の晩に渡したものであったのは違いないようです。

芥川が自死によって亡くなったのは、スペイン風邪罹患より9年後のことになります。







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