清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき。与謝野晶子の有名な短歌代表作品の現代語訳と意味、句切れと修辞、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。
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清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
読み:きよみずへ ぎおんをよぎる さくらづきよ こよいあうひと みなうつくしき
作者と出典
与謝野晶子『みだれ髪』
現代語訳と意味
清水に行こうと祇園を通り過ぎると、この桜咲く月夜である今夜すれ違う人は、みなおしなべて美しい
教科書掲載の短歌一覧
教科書の短歌解説 近代歌人の近代歌人の作品/石川啄木与謝野晶子
句切れ
句切れは「桜月夜」の三句切れ
「こよひ逢ふ人」の後ろには、「逢ふ人が」to
の主格の格助詞「は」または「が」などが省略されている。よって句切れではない。
文法、語の解説
よぎる…通り過ぎる
うつくしき… 基本形は「美し」。「美しき」は連体形
桜月夜の読みは「さくらづきよ」との、『みだれ髪』にルビがある
表現技法
一首の表現技法について注意すべきところをあげます。
連体止めと字余り
・「うつくしき」は連体形なので「連体止め」と言われる技法になる。
・「桜月夜」は6文字の字余り。
かな書き
「みなうつくしき」は、原本では感じが使われておらず、柔らかい印象
音の連鎖と美しさ
・「ぎおん」「よぎる」の「ぎ」の音の連続。
・「きよみずへ」の「き」、「つきよ」、「うつくしき」の「き」の音の連続
特に最後「うつくしき」の「き」は清澄な印象を残す音となっている。
美しい理由の類推
結句を「うつくしき」で言い切って、なぜ美しいのかの理由はあえて示されていない。
そのため、読んだ人が与えられた言葉でなしに、自然に情景を思い浮かべるようになると思われる。
その際のイメージを醸し出す言葉は、「祇園」「桜月夜」などがその手掛かりとなる。
美しいのは何か
人が美しいとは言っても、人の何が美しいのかも明示はされていない。
しかし、「みなうつくしき」に思い浮かぶものは、服装と共に、顔、人の表情であろう。
桜ではなく、「桜を見る人とその顔」というところに注目をしているところが、作者の視点であり、他にはない着眼点であると思われる。
解説と鑑賞
夜桜を見に行く人が通り過ぎる道すがらの情景を詠んだもの。
清水に行こうとして、祇園を通り過ぎると、夜桜を見に来た人が通り過ぎる。
「祇園」の言葉が、美しい装いの男女や、舞妓のあでやかな姿をほうふつとさせるものとなっています。
その人たちが、月の光が照らす桜の枝下を潜り抜けて通っていく。
夜桜を見るため着飾ってやってきた人々は、美しい桜を見て、誰もが上気して満ち足りた表情をしていたのでしょう。
それを見て、作者が感じた思いを柔らかくも「美しい」という主観的な言葉において、率直に表現しています。
「今宵」の特定
「今宵」という言葉で今日という日が特定されていますが、桜の花が満開になっている「桜月夜」であり、そのためいつもとは違って、今日見る人がいつもとは違って美しいということです。
桜が人々の服装、それだけではなく、心にある変化をもたらしているということが、この歌のポイントです。
作者与謝野晶子の恋ごころ
さらに、この歌一首には記されていませんが、作者の与謝野晶子が与謝野鉄幹と一緒に、 京都を訪れた時に、詠んだ歌であるとされています。
恋人と共にある作者自身の胸の高まりが、桜も月の光も、そして、会う人々いずれもを美しく見せるということが背景にあります。
作者の満ち足りた気持ちや期待が、見るものすべてを美しく見せている、それが「こよひ」の特定につながるものとも考えられます。
「花月夜」と改稿
この桜は、丸山公園の「祇園しだれ桜」の夜桜であるといわれますが、清水と祇園、もしくは祇園しだれ桜の位置関係に、事実とは違ったところがあったようです。
そこで、「桜月夜」はのちに与謝野晶子自身によって、「花月夜」と改稿されましたが、「桜月夜」の方が支持されて、広まっています。
俵万智の「チョコレート語訳」
ちなみに、歌人の俵万智さんが、与謝野晶子の「みだれ髪」を現代語に訳したものがありますが、それによると、この歌は
祇園よぎり清水へ行く桜月夜こよい逢うひとみなうつくしき
と訳されています。原作の趣をそのままに残した控えめな現代語訳と言えそうです。