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「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の解釈の違い 藤原定家三夕の歌

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「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」 藤原定家

古くから「三夕の歌」として古くから親しまれている、新古今和歌集の藤原定家の有名な和歌ですが、皆さんはこの短歌の意味をどのように考えておられますか。

多くは「花も紅葉もなくて寂しい秋の夕暮れの風景」として、解説の本には記されています。ところがこの短歌の解釈をめぐって、斎藤茂吉ともう一人の歌人が論争になったのを始め、様々な解釈があることがわかっています。

藤原定家の短歌「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」 解釈の違いについてお伝えします。

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見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

読み:みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ

日本の代表的な歌人、藤原定家が詠んだ一首。

新古今和歌集に収録されており、「三夕の歌」として古くから親しまれてきた作品です。

なお、この歌の基本的なところ、文法や語の意味については、先にこちらの記事でお読みください。

現代語訳と意味

意味は、基本的な解説においては、ほぼ下のように紹介されています。

あたりを見渡すと、桜の花はもとより、紅葉の彩りすら目に触れないのだよ。
漁師の仮小屋の散らばる浦の秋の夕暮れ

しかし、この歌の解釈は、上の読み方だけではありません。

様々な歌人が、それぞれの読み方をしていることがわかっています。

しかも、どういうことか、正反対の解釈をする2つに分かれているといってもいいのです。

「花も紅葉もなかりけり」の解釈の違い

 

この歌の解釈には、大雑把に言って相反する二つの解釈があり、以前からこの点については論じられてきました。

1.「花も紅葉もない」景色説

斎藤茂吉や窪田空穂他の解釈だと、「見渡せばもう花ももみじもない寂しい浦の苫屋の秋の夕暮れである」という意味合いになるというもので、これが今の解釈や現代語訳では一般的になっていると思われます。

つまり、定家の見た浜辺の風景は「さびしい」景色であり、それには、彩るものが何もない、すなわち「花も紅葉もない」という装飾物のない実景を詠うとする説です。

2.「花も紅葉も問題にならない」説

しかし、斎藤茂吉とこの歌について論争をした 谷鼎(たにかななえ)という大正・昭和期の歌人、国文学者 は、もう一つの説を主張して論争になりました。

「浦の苫屋の秋の夕暮れは、見渡せばあの美の代表のごとく言われる春の花秋の紅葉も問題にならないほどの絶景である」と理解したというのです。これがもう一つの説です。

この「花も紅葉もこの浦の風景に比べれば問題にならない」という比較の解釈をした歌人には、他にも、佐々木信綱、尾上紫舟、川田順の名前が挙げられていますので、そのような採り方をする著名な歌人が少なからずいるということになります。

再度まとめると

斎藤茂吉、窪田空穂他 「花も紅葉も存在しない実景を詠んだ」とする説
谷鼎、佐々木信綱、尾上紫舟、川田順 「花も紅葉も問題にならないほどの絶景である」とする説

本居宣長の「花も紅葉もなかりけり」の解釈

古く江戸時代から、本居宣長が、この歌について『けり』の詠嘆に注目し、次のように述べています。

『けり』 と言ひては、上句さぞ花紅葉などありて、おもしろかるべる所と思ひたるに、 来てみれば、花紅葉もなく、何の見るべきものもなき所にてありけるよという意になればなり

つまり、「花は紅葉がある」と思ってきてみたのに、「何にもないのだなあ。がっかりしたものだ」というところに、「けり」の詠嘆があったというのです。

逆に愉快でおもしろいですね。

それだけにはとどまらない他の解釈も、まだあります。

「花も紅葉もいらない」

他にも、文政2年、上の本居宣長の説に対して、石川正明という学者は

一首の意味は裏の苫屋の秋の夕暮れを見渡せば、花もみぢのことも忘れてあはれにをかしきぞと也。
俗にいえば花もいらぬが、紅葉も要らぬというほどの事也。--『尾張の家づと』より

「見渡せば=遮るものもない」に力点

また更に、日本の国文学者であった小島吉雄氏は「見渡せば」に着目した上で

浦の苫屋の秋の夕暮れは一物の遮るものもなく、花や紅葉の美しさもないが、花やもみじの風情にも増して哀れ深い情趣を蔵している風景である

と、それぞれ解釈しています。

(以上 https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/12274/p048.pdf より)

 

一首の歌の解釈の違い

藤原定家の有名な三夕の歌のさまざまな解釈に接してみて、一首の歌にこれほど違いがあるのかというと、大変面白いものがありますね。

古くから有名とされている、この一首にでさえ、これほどの読み方の違いがあることに、びっくりしました。

しかも、いずれもが自ら短歌を詠む歌人の方たちの筋の通った解釈です。

短歌は定説として通っているものが大半ですが、このように読まれかたに違いが生じるということは心しておいた方がいいですね。

皆さんは、この藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 」について、どのように思われましたか。

ご自分の感じるところと比較してみてくださいね。





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