万葉集

わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし『万葉集』光明皇后

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わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪の嬉しからまし」

万葉集の光明皇后の短歌、和歌を鑑賞、解説します。

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わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし

読み:わがせこと ふたりみませば いくばくか このふるゆきの うれしからまし

作者と出典

光明こうみょう皇后  万葉集 巻8‐1658

現代語訳

わが夫の君ともし二人で見るのでしたら、どんなにかいま降っているこの雪が喜ばしく思われることでしょうに

文法解説

・背子…夫のこと

・「ませば…まし」…反実仮想
「ませ」は未然形、「まし」は終止形 で、「もしそうであったなら」の仮定を表す

・幾許か・・・読みは「いくばく」

意味は「明確でない数量や分量、程度などを示す表現。いくらかの」だが、ここでは反語的に「どれほど」「どんなにか」の意味。

・「この降る雪」…「この」で、雪が今目の前に降っていることを表す

 

解説と鑑賞

万葉集には「藤皇后の天皇に奉る御歌一首」と詞書があります。

藤皇后とは、原不比等の三女、光明皇后のことで、この歌は、夫である聖武天皇に送られました。

雪を詠みながら、夫への思慕を切々と伝え、夫に呼びかける歌となっています。

奈良市の東大寺大仏殿の西北、正倉院に近い場所に、この歌の歌碑が経っています。

聖武天皇と歌の歴史的な背景

聖武天皇は天平12年(740年)10月末ごろより東国巡幸に出られ、12月15日、山城の恭仁において都を遷すことを心に決めていました。

天平12年(740年)には藤原広嗣の乱が起こり、その乱の最中に、突然関東(伊勢国、美濃国)への行幸を始め、平城京に戻らないまま恭仁京へ遷都を行ったということになっています。

夫の無事を願う光明皇后

もちろん、皇后としては、天皇がそばにあってほしいという思いと共に、夫の無事を願わない日はなかったでしょう。

この短歌は、ただ単に夫と共に雪が見たい、暮らしたいというよりも、夫が無事なことを確かめながら日々安心して暮らしたいという気持ちも込められているようです。

皇后の切々とした愛情と、願いが込められている短歌となっています。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』解説より

藤皇后とうこうごう(光明皇后)が聖武天皇に奉られた御歌である。

皇后は藤原不比等ふひとの女、神亀元年二月聖武天皇夫人。ついで、天平元年八月皇后とならせたまい、天平宝字四年六月崩御せられた。
御年六十。

この美しく降った雪を、若しお二人で眺めることが叶かないましたならば、どんなにかお懽うれしいことでございましょう、というのである。

斯かく尋常に、御おもいの儘、御会話の儘を伝えているのはまことに不思議なほどである。

特に結びの、「懽うれしからまし」の如き御言葉を、皇后の御生涯と照らしあわせつつ味い得るということの、多幸を私等はおもわねばならぬのである。





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