万葉集と百人一首の違い「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ」  

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万葉集と百人一首の違い「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ」

2019年12月2日

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万葉集と百人一首両方に収録された和歌のうち、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ」の改作部分について解説をします。

万葉集と百人一首両方に収録された和歌には、他にどんなものがあるでしょうか。

同じ歌なのに中には、両歌集において、言葉が違うのはどうしてなのでしょうか。

万葉集と百人一首に重複する和歌をあげて、言葉の違い、作風の違いについて考えます。

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万葉集と百人一首両方にある和歌・短歌


万葉集と百人一首、どちらもとても有名な古い時代の歌集ですね。

どちらも、皆が詠んだ和歌を集めて記され、一冊の本、昔でいう巻物にまとめられたというものであることには変わりません。

しかし、万葉集と百人一首に共通して選ばれているにもかかわらず、同じ歌なのに言葉や作者が違ったりしているものがあります。

この記事では同じ歌なのに収録歌集による違いを取り上げます。

 

百人一首から

小倉百人一首を作った藤原定家が、万葉集にもある和歌をそれまで伝えられた歌集から選んためですが、それらの作品は下のようなものです。

春過ぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香久山 持統天皇(万葉集)

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に 雪は降りつつ 山部赤人(万葉集)

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂(万葉集)

秋田苅る借廬(かりほ)を作り吾が居れば衣手寒し露ぞ置きにける 作者不詳 のち天智天皇(万葉集)

そして、上の4首の中には、百人一首では、言葉が違っているもの、それと作者が異なっているものがあります。

その一つが、この山部赤人の和歌です。

 

田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ

山部赤人の日本の代表的な山、富士山の見える景色を詠ったものとして有名な和歌です。

田子の浦うち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に 雪は降りつつ(万葉集)

田子の浦うち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ(百人一首)

この歌については、朝日新聞の「もっと教えて!ドラえもん」のコーナーでも、歌の歴史と移り変わりを示す例として、紹介されていました。

「田子の浦ゆ」の「ゆ」は、田子の浦から」の意味で、この時代に使われた助詞ですが、百人一首の時代では、それほど使われなくなったと見えて「に」に変えられています。

そして、注目してほしいのは、「真白にぞ」と「白妙の」の違いですね。

「白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」の白妙の意味

「白妙」(しろたえ)というのは、白い布のことで、水にさらせばさらすほど白くなるので、万葉の時代には好まれていたといいます。

最初の持統天皇の「春過ぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香久山」 (万葉集)にも使われていますが、この場合の「白妙の」は、布そのもの、素材そのもののことです。

しかし、百人一首の「田子の浦うち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」の方の、この白妙は、「白い」ということの比喩です。

富士山に積もった雪を、「白妙」としてたとえたのですね。

「真白にぞ」率直な万葉集

一方、万葉集の元々の歌の方では、これを「真白にぞ」として、ただ白いといって、「ぞ」でその白さを強調しています。

万葉集の方が、そのままのストレートな率直な表現ですが、古今集の時代には、印象付けたい言葉は、他の実物で比喩で表すことが、強調には効果的と考えられていたのかもしれません。

改作にまつわる批判

この歌に関しては、改作をされたことで、下のような批判があります。

この歌は、万葉集では長歌の後に置かれた反歌です。

そのため、歴史的に、時間的に富士山を詠った長歌に対して、作者の時間と空間との位置をきちんときめて、現在の眼前の後継として述べたものです。

このポイントが、百人一首の改作では、ゆがんだ形で伝えられるところとなってしまいました。

「田子の浦ゆ」→「田子の浦に」

まず「田子の浦ゆ」の「ゆ」は「田子の浦から」という、作者の移動と、その結果の位置を示しますが、百人一首の改作の方では「田子の浦に」となってしまっています。

「から」と「に」では、意味それ自体が違っています。

「雪の降りける」→「雪の降りつつ」

さらに、原作の「雪の降りける」というの「雪が降り積もっていることだ」という意味なのに対して、「雪の降りつつ」では、いま雪が降っていることになってしまい、晴れ渡った空に富士山が見えるのと、雪が降っている中で富士山を見るのとでは、大きな違いが生じてしまいます。

 

「移り変わる和歌の世界」朝日新聞

朝日新聞の「移り変わる和歌の世界」では、この改作部分について

「同じ作品でも時代が進むにつれて変わったんだ、このように、和歌を詠む文化は続いていたけれど、作風や表現の方法はかなり変わった。さまざまな例えなどが込められ、優美で洗練された表現がよしとされるようになった」

と説明しています。

この歌は元々が万葉集に収められていた山部赤人の歌ですが、藤原定家が選者をつとめた「新古今集」に収められ、さらに小倉百人一首にも入ってところとなり、共通した歌が収められるところとなったわけです。

しかし、新古今和歌集は「幽玄」な表現が好まれていて、この改作によって時代の変化があったことがわかります。

こうして、万葉集の男性的な読みぶりという意味の「ますらおぶり」は、時代とともに、「たわやめぶり」に、率直な表現は比喩に置き換えられていった、その歌の歴史がこれらの改作によっても、如実に示されるところとなっています。

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