うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば 大伴家持「万葉集」  

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うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば 大伴家持「万葉集」

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「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」

大伴家持の有名な歌、代表的な作品の一つで春愁三首と言われる歌の、3首目の締めくくりとなる短歌です。

現代語訳と句切れと語句、一首の工夫された構成や、中国の詩の影響などを詳しく解説します。

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うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば

読み:うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもえば

作者

大伴家持 万葉集19巻・4292

現代語訳

うららかに照っている春日の中、ひばりが空に上がり、心は悲しい。一人もの思いをしていれば

句切れ

4句切れ。

語と文法

・うらうらに…日の光がのどかで明るいさま

・照れる…「照る+れり(存続の助動詞)の連体形

・ひばり上がり…ひばりが鳴きながら、空高く舞い上がっていく様子

・悲しも…「も」は詠嘆の終助詞で、文末、文節末の種々の語に付き、「…なあ。…ね。…ことよ」などの意味となる

・「ひとりし思へば」は倒置の副詞節

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解説

大伴家持の有名な歌、代表的な作品の一つで春愁三首と言われる歌の、3首目の短歌であり、万葉集の19巻の最後の歌となっている。

明るい春の景色と対照して、孤独な物思いと悲哀の情を詠うのが主題であり、ここに歌われた悲哀の歌をもって、巻19巻が閉じられており、それがその時の家持の心境であった。

春愁三首のうちの最初の歌「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも」、二首目「我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも」に比べると、悲しみの度合いが深まっていることが見てとれる。

一首の構成

上句「うらうらに照れる春日にひばり上がり」は景色の描写であり、各派心境の叙述となる。

いかにも春の明るい気分として始まるが、下句の「心悲しもひとりし思へば」に至って、大きなコントラストが明らかになる。

「うらうらに照れる春日にひばり上がり」と、「心悲しも」の間には因果関係はなく、その対照をすることによって、心の暗さと悲哀を際立たせる効果のために置かれている。

特に「ひばり上がり」で、鳴きながら高々と舞い上がっていく鳥の自由な姿に、「ひとりし思へば」、つまり言葉を発さずに「思う」ことの対照が際立つ。

「心悲しも」は終止形の句切れていったん切れており、そのあとに文字通りのモノローグのような、「ひとり思へば」が倒置であることにも留意したい。

一首の特徴

万葉集の大半の歌は、作者の心情の訴えなのであるが、この歌は「ひとりし思へば」として、その訴えをしない。

斎藤茂吉はこの点を「不思議にも独詠的な歌である」と述べている。

漢詩の影響の指摘

また、斎藤茂吉は

独居沈思の態度は既に志那の詩のおもかげでもあり、仏教的静観の趣でもある。これも家持の至りついた一つの歌境であった

として、中国の詩、漢詩の影響を指摘している。

つまり、「ひとりし思へば」は現代ではそれほどとは思われないが、万葉集においては、このような句が入ること自体が、そのくらい珍しいということで、そのために、漢詩の影響だろうとされるのだろう。

他に、鉄野昌弘氏は、この歌の原型について、『毛詩』の部分を挙げている。

下祁の大伴家持の注と合わせて参照のこと。

春日すなわち暖かく、よってこの歌を作り、もって締緒(ていしょ)を述べたり 春日遅々たり、蘩(はん(をとること祁祁(きき)たり。

上のその詩については、万物が成長する陽春の中、伴侶を求めて嘆き悲しむ女性の情が詠われた歌、女性が孤独を嘆く閨怨詩(けいえんし)というものであったとする説がある。

家持は閨怨詩やその影響を受けた先行歌を踏まえて、自己の孤愁を表現に転嫁させたという説明がされている。(芳賀紀雄『万葉集ん置ける中国文学の受容』)

作者大伴家持の注

題は「二十五日に作る一首」とあり、下の方な説明書きが添えられている。

春日遅々(ちち)として鶬鶊(ひばり)正(まさ)に啼(な)く。悽惆(せいちゅう)の意、歌にあらずは撥(はら)ひ難(がた)きのみ。よりて此の歌を作り、もちて締緒(むすぼれたるこころ)を展(の)ぶ。

意味は、

春の陽のうらうらと照り渡る中で、春の小鳥がまさに泣いている。胸に湧いてくるある痛みの心は、歌でなければ払うことはできない。よってこれらの歌を作って、 わが胸にむすばれている思いを晴らすのである

「鶬鶊」は「ひばり」と読むようになっているが、鶯の別称であるが、家持自身が意識してこの「鶬鶊(そうこう)」という語を用いたといわれている。

大伴家持の憂い-歌の背景

大伴家には、このころ藤原氏の台頭によって、それまでの大伴家の地位が不安定となり衰退するなどの政治的な受難にさらされていた。

新潟に赴任をしていた家持は、都にほのかな望みをもって帰郷したが、大伴一族の衰退は厳しく、期待は落胆に終わったのである。

春愁三首の作歌の背景には、そのような種類の憂いがあったのだが、そのような苦しみの中で書き記したこれらの歌は、家持の独創性を示す万葉集の代表的な和歌として今も愛唱される歌となっている。

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