紫陽花の八重咲くごとく八つ代にいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄  

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紫陽花の八重咲くごとく八つ代にいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄

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紫陽花の八重咲くごとく八つ代にいませ我が背子見つつ偲はむ この橘諸兄の短歌は、万葉集にある紫陽花を詠んだ短歌です。

万葉集には紫陽花を詠んだ短歌は他に大伴家持の詠んだ歌の他、二首のみです。

橘諸兄の紫陽花の短歌を鑑賞します。

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あじさゐの八重咲くごとく八つ代にいませ我が背子見つつ偲はむ

読み:あじさいの やえさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしのはん

作者と出典

橘諸兄 万葉集4448

現代語訳

紫陽花が八重に咲くように、あなたさまも八代も末永くお元気であられるようにこの花を見ながらお祈り申し上げます

語句と文法の解説

・ごとく・・・何々のように と紫陽花の八重にたとえている

・八つ代にを・・・「八つ代」万代 長い年月 長い時代 「を」は間投助詞

・いませ・・・「生きていてください」の意味。この「いる」は生きるの意味

・背子・・・女性から見た夫や親しい人を言うことが多いが、男性が親しい男性を呼ぶ語でもある。ここでは宴会の主人を指す。

・偲はむ・・・基本形「偲ふ」。奈良時代には清音「しのふ」と読んだ。その後「偲ぶ」

 

※万葉集の恋の歌一覧は
万葉集の恋の和歌30首(1)額田王,柿本人麻呂,大津皇子,石川郎女
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解説と鑑賞

丹比国人真人 (たじひのくにひとのまひと) という官人の慶事を記念する宴席で詠まれた歌。

古代の紫陽花は多く、ガクアジサイとされている。

この場合の八重というのは、紫陽花の花自体は八重ではないが、紫陽花が群がって咲く様子から、「たくさんの」の意味で用いられたようで、この語が「八つ代」につながるものとなる。

「八つ代」の「八」は、君が代の「千代に八千代」と同じく、八は、たくさんでめでたいとされる数で、それを導くものとして「あじさゐの―」の部分が序詞とされた。

「わが背子」は、宴会の主人である丹比国人真人を指す言葉。

万葉集に紫陽花の花が詠まれたのは、この2首のみとなる。

橘 諸兄について

橘 諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿。大伴家持と合わせて、万葉集の選者だったという説が有力なものとなっている。

橘 諸兄の万葉集の歌

万葉集の和歌は、他に、

降る雪の白髪しろかみまでに大君に仕へまつれば貴くもあるか(万17-3922)

高山の巌いはほに生ふる菅すがの根のねもころごろに降り置く白雪(万20-4454)




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