光放つ神に守られもろともにあはれひとつの息を息づく
日経新聞の日経スタイルで、「万葉集から斎藤茂吉まで、恋の文でたどる思い」のタイトルのコラムで斎藤茂吉と永井ふさ子の恋愛が取り上げられました。
今日の日めくり短歌は斎藤茂吉と永井ふさ子の合作の短歌を取り上げます。
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斎藤茂吉と永井ふさ子の恋愛
日経新聞の日経スタイルで、「万葉集から斎藤茂吉まで、恋の文でたどる思い」のタイトルのコラムで斎藤茂吉と永井ふさ子の恋愛が取り上げられました。
婚外ではあれ、情熱的な恋愛で、短歌の相聞がたくさん生まれました。
その一つがタイトルにあげた作品です。
光放つ神に守られもろともにあはれひとつの息を息づく
下句はふさ子がつけたのですが、最初「相寄りし身はうたがはなくに」と付けたのに「弱い」というので、上のように作り直したら、「今度は大変いい、人麿以上だ」と茂吉が言ったと言います。
歌の意味は、「光を放つ神のその光の中に守られて、二人共に一つの息となって息づくのだ」というような意味です。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
斎藤茂吉の生涯と代表作短歌 特徴や作風「写生と実相観入」
一首の解説
「あはれ」は間投詞なので多く「ああ」と訳されますが、特に訳語は要らないと思います。
ちなみに、なぜ、最初の案に茂吉が肯じなかったかというと、「相寄りし身はうたがはなくに」にやはり否定ではあれ「うたがひ」というマイナーな言葉が入ること、それと、結句が動詞ではないことなどが考えられます。
それに比べると、「あはれひとつの息を息づく」はずっと良いと思われます。
「もろともに」というのは「一緒に」という意味でそれを受けて、「相寄りし身」としたわけですが、「二人が寄り合う」というよりも、「ひとつに」なったの方が、やはりずっと強い。
さらに「息づく」には命の鼓動が感じられます。
そしてこのような短歌に関する対話を通して、永井ふさ子は短歌に対する知見を深めていったと思われます。
そして、茂吉も永井の愛情を得て、この時期は、豊かな安定した作風の作品をたくさん残しています。
二人の恋愛について書くと尽きることがありませんが、茂吉の生涯にとっても作品にとっても、永井ふさ子は大切な人であったのは間違いありません。
それは不倫だとか、婚外恋愛の道義とは全く別な事であります。人生の危機においては、そのような関係が、人を救うこともあるのです。
永井氏との恋愛については、婚外恋愛なので悲しいこともたくさんあったのですが、家庭内の不和に打ちのめされていた当時の斎藤茂吉に再び息づくような生のエネルギーを与えたのには、やはり永井氏の存在が言われる以上に大きかったと思うのです。
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