うぐひすの卵の中にほととぎすひとり生まれて 高橋虫麻呂の、卵の「かい」と鶏の「かけ」の例を含む万葉集の和歌と斎藤茂吉の短歌をご紹介します。
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卵を「かいご」と詠んだ万葉集の和歌
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万葉集には、卵を「かいご」として詠まれた、長歌があります。
うぐひすの 卵(かいご)の中に ほととぎす ひとり生まれて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己(な)が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴きとよもし 橘の 花を居(い)散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賂(まい)はせむ 遠くな行きそ 我(わ)がやどの 花橘に 住み渡れ鳥
作者は高橋虫麻呂。
鶯の「たまご」とはせずに「かいご」と卵を呼んでいます。
一首は鶯の巣の中に生れた、とするホトトギスについて詠んだもの。
現代語訳は
鶯の巣の卵の中にホトトギスが一羽生まれたら、自分の親とは違う声で鳴く。卯の花が咲く野原から空高く飛び、橘の枝に止まって花を散らしながら一日中鳴くがいい声だ。ここがお前の場所だ。もう遠くへ行かなくていい。我が家の庭の橘の花にずっと住みついていておくれ
親のいない鳥に、親し気に呼びかける作者の温かいまなざしがあります。
一方、鶏を「かけ」とする短歌の用例は、斎藤茂吉の下の歌、
うつつなるほろびの迅さひとたびは目ざめし鶏もねむりたるらむ
読み:うつつなる ほろびのはやさ ひとたびは めざめしかけも ねむりたるらん
作者は斎藤茂吉、出典は歌集『あらたま』です。
意味は、一度鳴いてそれきり鳴き止んでしまった鶏の声に作者が、「現実の世の滅びのなんと早い事か」と思う主観を述べたもの。
「うつつなるほろびの迅さ」に、仏教的な世界観も含まれているかもしれません。
この歌の詳しい解説は
鶏の「かけ」は鳴き声から
この「かけ」という呼び名は、鶏の「コケコッコー」というように、鳴き声からとられた呼び名であるようです。
昔は、鶏は一般家庭でも飼われていることが多く、朝方には、鶏の声で目が覚めるようなことがあったのですね。
今では、声を聞くことも稀になってしまい、いくらか懐かしい感じがします。
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