【解説】をととひのへちまの水も取らざりきの意味と解釈 正岡子規「辞世の句」  

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【解説】をととひのへちまの水も取らざりきの意味と解釈 正岡子規「辞世の句」

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をとゝひのへちまの水も取らざりき

正岡子規の辞世の句、「絶筆三句」といわれる有名な一句です。

1896年に詠まれた「正岡子規の絶筆三句」の3句目の意味をご紹介します。

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読み:おとといの へちまのみずも とらざりき

作者と出典

正岡子規

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「糸瓜忌」正岡子規の亡くなった日

正岡子規の亡くなった日は、1902(明治35年)9月19日。

満34歳という若い年齢でした。

亡くなる際に詠んだ俳句、辞世の句、絶筆三句とよばれるものが、下のものです。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき

この歌は、絶筆三句の3句目のものです。

 

「をとゝひのへちまの水も取らざりき」の意味

「をとゝひのへちまの水も取らざりき」の句の意味するところを考えていきます。

糸瓜栽培の目的

この場合の糸瓜とは、花や実の鑑賞のためではなく、茎を切ったところから滴り落ちるわずかな水を薬として採取する目的で栽培したものでした。

正岡子規の看護をしていた、妹の律が植えたものとも言われています。

また、糸瓜の水は、結核で臥していた子規の痰を取る薬、去痰剤としても用いられていたようです。

薬のない時代には、糸瓜の水は大切なものだったのです。

「おととい」は十五夜

そして、この糸瓜の水は、十五夜の夜に採ったものは、病によく効くという言い伝えがあったそうです。

自らの死期を悟った正岡子規は、一句目の「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」で、自分を「仏」と呼んでいます。

そして、「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」。痰が立て続けに出て呼吸の苦しい、死期の迫った「仏」である自分には、わずかな糸瓜の水は「間に合わない」というのです。

さらに、三句目で、「糸瓜」をモチーフに続けようとして浮かんだのが、一昨日の十五夜に、糸瓜の水を取らなかったという述懐です。

 

「取らざりき」の解釈

この句の解釈にはいろいろな見方があるようで、採らなかったことを悔悟していると述べている人もいます。

例えば下の記事が示すようなものです。

十五夜に取ったへちま水を飲むと痰(たん)が切れるという伝承があった。それすら取れなかったことを嘆きながら、子規は逝った。 ―日本農業新聞 https://www.agrinews.co.jp/p51925.html

 

俳句を詠むこころ

大体、短歌や俳句の人というのは、一つのモチーフにできるだけたくさんのことを思いついて歌にしようと思っているものです。

短歌ですと、よく「歌詠みの卑しさ」という言葉があって、とにかくとことんモチーフをいじくりまわすのが常の事です。

「糸瓜」をモチーフに思いつく事実を子規は述べたのであったでしょう。

「おとといも」の「も」の意味

そして、なぜ、糸瓜の水を採らなかったのかを推察すると、子規の病状は急変したのではなくて、おそらくその前から病状の悪化や呼吸困難が起こっていたのではないかと思われます。

病の重篤さにとても「間に合わない」のであって、それゆえに昨日もおとといも採らなかった。

それが助詞の「も」の意味であろうと思われます。

世にあるものへの愛惜

良いとされている十五夜である一昨日も採らなかった、ということを、子規は疲れた肉体でふと思い起こす。

もはや仏になろうとしている人には、薬、しかも民間の伝承の薬である糸瓜の水などは不要なのです。

まだしも元気であった時には、あんなにも大切であった糸瓜の水、それすらが要らなくなったということを、子規は死の床において自ら書き留めます。

しかしその意味は、悔悟や治癒への執着ではありません。もはや自分は「痰のつまりし仏かな」の「仏」なのですから。

死の迫った肉体はもやは薬も水を要しないが、かたや精神は死を目前としても、糸瓜の水に示されるこの世のものに愛惜を示す。

自らの命をつなぐ糸瓜の水とそれを表し得る俳句が、いままさに肉体ではなく子規の精神をこの世につなぎとめていることがこの句によってわかります。

それがこの句の底にある意味でしょう。

正岡子規が亡くなったのは14時間後の翌日だったといいます。

この糸瓜を詠んだ絶筆の俳句によって、子規のなくなった今日は糸瓜忌と呼ばれているのです。

絶筆三句の他の俳句の解説は以下の記事にあります

正岡子規の文学運動

正岡子規は、結核に罹患、その後は寝たきりのまま、俳句と短歌の革新を進める、文学運動を展開しました。

糸瓜の棚は、寝たきりの子規に見えるように窓のむこうにしつらえたもの。

窓には当時はまだ珍しかったガラスが、窓を閉めたまま外が見えるように高浜虚子の手配ではめられました。

子規はたいへんに喜んだといいます。

わずか34年の生涯であったわけですが俳句において以上に短歌の文学史において、子規の果たした「短歌革新」の役割は大きく、近代短歌は子規によって開かれたと言っても過言ではありません。

正岡子規の有名な俳句

正岡子規の有名な俳句は他に下のようなものがあります。

柿くえば鐘がなるなり法隆寺
鶏頭の十四五本もありぬべし
いくたびも雪の深さを尋ねけり
島々に灯をともしけり春の海
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり
島々に 灯をともしけり 春の海
若あゆの二手になりてのぼりけり
夏嵐 机上の白紙 飛び尽す
春や昔十五万石の城下哉

 

正岡子規の有名な短歌

子規の短歌については、下の記事をご覧ください

正岡子規の短歌代表作10首 写生を提唱




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