痰一斗糸瓜の水も間に合はず
正岡子規の辞世の句、「絶筆三句」といわれる有名な一句です。
1896年に詠まれた「正岡子規の絶筆三句」の二句目の意味をご紹介します。
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痰一斗糸瓜の水も間に合はず
読み:たんいっと へちまのみずも まにあわず
作者と出典
正岡子規
正岡子規の亡くなった日「糸瓜(へちま)忌」1896年「正岡子規の絶筆三句」の1つ『糸瓜咲て痰のつまりし仏かな』から #糸瓜忌 #獺祭忌 #正岡子規 https://t.co/E1he5hHuKE pic.twitter.com/abTsxpzOhJ
— まる (@marutanka) September 19, 2020
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「糸瓜忌」正岡子規の亡くなった日
正岡子規の亡くなった日は、1902(明治35年)9月19日。
満34歳という若い年齢でした。
亡くなる際に詠んだ俳句、辞世の句、絶筆三句とよばれるものが、下のものです。
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき
この歌は、絶筆三句の2句目のものです。
一句目から読みたい場合はこちらから
上の俳句の意味
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
この俳句の意味は、糸瓜を栽培した目的を知るとより理解が深まります。
この場合の糸瓜とは、茎を切ったところから滴り落ちるわずかな水を薬として採取する目的でした。
おそらく、子規はそれを、単なる滋養のためではなく、去痰剤としても用いていたのかもしれません。
「痰一斗」の「一斗」とは
「痰一斗」、この場合の「一斗」とは、18リットルを指しますが、これは実際の数字ではなくて、その位に思えるほど「たくさん」との意味です。
対して、糸瓜の茎の先から、時間をおいてぽたぽたと採取できる水はほんとうにわずかです。
その対比のために置かれたのが、この「一斗」との数字です。
ヘチマの水に比べて、痰の量が余りにも多く、とても間に合わない。
そして、実際の水の量を冷静に具体的に示すことで、自分の病気の苦しみを明確に示しています。
「痰一斗」というのは、痰の涼のみならず、自分の感じる苦しみを表す言葉であるのです。
それに対して、のぞみである糸瓜の水は、ほんのわずかしかないのです。
おそらく、下の句のように「仏」という語を使った時に、子規は自らの命の果てを思っていたのでしょう。
「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」の意味
一首目の、「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」、この意味は、
自分を助けてくれる糸瓜、その花を目にしながら、呼吸が苦しくて、今にも死んでしまいそうだ、もう間に合わない
そういう意味で詠まれた俳句となります。
薬のないこの時代、糸瓜の水は唯一の恃みであったのです。
大切な大切な糸瓜、この糸瓜を詠んだ絶筆の俳句によって、子規のなくなった今日は、糸瓜忌と呼ばれているのです。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」の意味 正岡子規の絶筆の俳句【日めくり短歌】
正岡子規の文学運動
正岡子規は、結核に罹患、その後は寝たきりのまま、俳句と短歌の革新を進める文学運動を展開しました。
糸瓜の棚は、寝たきりの子規に見えるように、窓のむこうにしつらえたもの。
窓には当時はまだ珍しかったガラスが、窓を閉めたまま外が見えるように高浜虚子の手配ではめられました。
子規はたいへんに喜んだといいます。
わずか34年の生涯であったわけですが、俳句において以上に、短歌の文学史において、子規の果たした「短歌革新」の役割は大きく、近代短歌は子規によって開かれたと言っても過言ではありません。
正岡子規の有名な俳句
正岡子規の有名な俳句は他に下のようなものがあります。
柿くえば鐘がなるなり法隆寺
鶏頭の十四五本もありぬべし
いくたびも雪の深さを尋ねけり
島々に灯をともしけり春の海
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり
島々に 灯をともしけり 春の海
若あゆの二手になりてのぼりけり
夏嵐 机上の白紙 飛び尽す
春や昔十五万石の城下哉
正岡子規の有名な短歌
子規の短歌については、下の記事をご覧ください