月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど
大江千里の古今和歌集と百人一首に採られた有名な和歌、現代語訳と句切れや係り結びの修辞法の解説、2つの解釈と鑑賞を記します。
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月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど
読み:つきみれば ちじにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど
作者と出典
作者:大江千里
出典:『古今集』193 百人一首23番
現代語訳:
月を見れば、様々に思いが乱れて悲しいものだ。別に私一人のために秋がやってきたというわけでもないのに
・・
語と句切れ・修辞法
一首に使われていることばと文法と修辞法、句切れの解説です。
使われている修辞法
- 倒置
- 係り結び
係り結びの解説
係り結びとは 短歌・古典和歌の修辞・表現技法解説
句切れ
三句切れ
月見れば
「月』の後の「を」の助詞が省略されている。
ちぢに
「千々に」が漢字。意味は「際限なく」
ものこそかなしけれ
「こそ…けれ」は係り結び
わが身ひとつの
「わが身ひとつの」の意味は「私一人」。
「千々に」の「千」と「一」とを対応させている。
「身」の説明
あらねど
あら=補助動詞「あり」[未然形] ね=打消の助動詞「ず」[已然形] ど=接続助詞
解説
古今集の他、百人一首にも採られた有名な歌です。
「悲しい秋」を表す「悲秋」がコンセプトで、この時代には、秋の悲しさや物思いに沈む様子は、和歌の一つのテーマでした。
「月も秋も誰にも等しく見え、訪れる季節であるのに、まるで私の秋であるかのように、こうも憂いが深まるのはなぜだろう」と問いかけることで、「悲秋」の個別性を強調しています。
和歌のもととなる漢詩
この歌のもとになると言われるものは、白楽天の「燕子楼(えんしろう)」という漢詩の中の
燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長
読みは「えんしろうちゅうそうげつのよる、あききたってただひとりのためにながし」
意味は「燕子楼で長年一人暮らしていた、死亡した国司の愛妓が、月の美しい秋寒の夜「残されたわたし一人のため、こうも秋の夜は長いのか」
この歌のもう一つの解釈
また、この歌には、「秋は天下万民の季節でわたしのためのものではない」という理解の他に、「月は無心ながら私の心により、月に憂いを見る」というもう一つの解釈もあります。
つまり、「月は誰にでも見えるものであり、皆もみているはずなのだが、私がだけがこのように物思いに沈んでいる。私だけではないはずなのに」という意味も考えられます。