わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし 大伯皇女  

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わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし 大伯皇女

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わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし

大伯皇女(おほくのひめみこ)が、謀反の罪に問われた大津皇子を送る際に詠んだ、万葉集の代表的な短歌作品の現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説します。

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わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし

読み:わがせこを やまとへやると さよふけて あかつきつゆに わがたちぬれし

作者と出典

大伯皇女 (2-105)

現代語訳

あの人を大和へ返し送ろうと夜が更けて、暁の露に私は経ち濡れてしまったことだ

 

語句と文法の解説

・わが背子…ここでは、肉親の弟の大津皇子を指す

・遣る…「行かせる」の意味

・暁露…読みは「あかとき」と「つゆ」。暁はこれから夜が明けようとするくらい自国。

「わがたち濡れし」の品詞分解

・し…過去の助動詞「き」の連体形。連体止めは詠嘆を表す

立ち濡る(たちぬる)が基本形。「立ったまま雨などに濡れる」の意味

参考:
あしひきの山のしづくに妹 (いも) 待つと我 (われ)立ち濡れぬ山のしづくに」〈万・一〇七〉

上の歌の解説は
あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに 大津皇子

句切れと修辞について

句切れなし




 

解説と鑑賞

一首の解説と鑑賞を記します。

大伯皇女と大津皇子

題詞に「大津皇子、ひそかに伊勢神宮に下りて上り来るときに、大伯皇女の作らす歌二首」とあり、二首が並置されています。

わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし

二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

大伯皇女は、大津皇子の姉の皇女。大津皇子は同母の弟です。

大津皇子の「大津事件」

大津皇子は天皇の崩御の25日後に、謀反の罪でとらえられて、翌日に自害したとされています。

万葉集の解説では、

大津皇子はその多才、奔放な性格をこころよく思わない持統天皇の謀略に陥って処刑された

となっています。

歌の詠み手である、姉の大伯皇女は、伊勢斎宮で26歳、大津皇子は自分が謀反の罪でとらえられるかもしれないと思い、その姉を訪ねて、伊勢神宮を訪問したのです。

別れて見送る際に、姉である大伯皇女が詠ったのが、上の歌です。

切実な別離

恋愛の歌のように見えますが、二度とは会えないかもしれない悲しい別れを詠んだものんで、切実な別離の情が伝わります。

「わが背子」は普通は夫のことをいう言葉ですが、親しみを込めて、弟に使われています。

「やる」というのは、「名残惜しいけれども帰す」という気持ちが働いているのでしょう。

 

万葉集解説のベストセラー

万葉集解説の本で、一番売れているのが、斎藤茂吉の「万葉秀歌」です。有名な歌、すぐれた歌の解説がコンパクトに記されています。




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