大津皇子 大伯皇女の万葉集の和歌まとめ 大津事件の悲劇  

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大津皇子 大伯皇女の万葉集の和歌まとめ 大津事件の悲劇

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大津皇子と大伯皇女の万葉集の和歌の現代語訳と文法などの解説、これらの短歌の詠まれた背景にある大津皇子事件について記します。

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大津皇子と大伯皇女の読みかた

それぞれの名前の読み方と、二人の関係を記します。

大津皇子

読みは「おおつのみこ」

大津事件で刑死をした天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。

大伯皇女

読みは「おおくのひめみこ」。字は大来皇女とも書く。

大津皇子の姉。伊勢斎宮。

 

大津皇子の万葉集の和歌

大津皇子の万葉集の和歌一覧です

あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに 107

大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し 109

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 416

経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね 1512

一首ずつを解説します。

 

あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに

読み:あしひきの やまのしずくに いもまつと われたちぬれぬ やまのしずくに

作者と万葉集番号

大津皇子

万葉集 107

現代語訳と意味

山の雫にあなたが来るのを待っていて私は濡れてしまった その山のしずくに

解説

石川郎女との相聞、恋愛の歌。妹(いも)は、親しい女性の相手に呼びかける言葉。

相手を待つのが長い時間だったこと、そのように自分の思いが強いことを伝えている。結句の繰り返しには親しみが感じられる。

 

大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し

読み:おおふねの つもりがうらに のらんとは まさしにしりて わがふたりねし

作者と万葉集番号

大津皇子

万葉集 109

現代語訳と意味

津守連の占いに出るだろうとは承知で私たちはむすばれたのだ

解説

「大舟」は即興の枕詞。「津守」は港の警備や雑役夫の役目の者。

その占いに出るとは、人々に自分たちが共寝をしたことが知れてしまうということで、それでも良いと思って、相手を選んで結ばれたという宣言をするような内容の歌です。

 

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

読み:ももつたう いわれのいけに なくかもを きょうのみみてや くもがくりなん

作者と万葉集番号

大津皇子

万葉集 416

現代語訳と意味

磐余の池に鳴いている鴨を今日だけ見て死んで(おかくれになって)いくのだろう

解説

この歌は大津皇子の作とした伝承歌であるとされています。

「大津皇子の非業の死を悼んで詠んだ後人の仮託ではないかと思われる」(『万葉集』小学館)

理由は「雲隠り」が、第三者が使う表現、現代語なら「お隠れになった」というような意味で、本人が自身に使う言葉ではないためです。

 

経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね

読み:たてもなく ぬきもさだめず おとめらが おるもみじばに しもなふりそね

作者と万葉集番号

大津皇子 万葉集 1512

現代語訳と意味

経糸も横糸も決めずに乙女たちが織る紅葉の錦に霜よ降らないでおくれ

解説

機織りの際には、横糸と経糸がありますが、これは本当の錦ではなくて、紅葉を錦の布にたとえたものです。漢詩の表現を学んだ歌とされています。

 

大津皇子事件とは

ここからは、大津皇子を詠んだ、姉の大伯皇女の歌となりますが、これは、万葉集に伝わる悲劇である大津事件で、弟の大津皇子が刑死をしたことが背景にあります。

朱鳥元年(686年)、大津皇子は、天武天皇が亡くなったあとに、謀反を起こそうとしたという疑いをかけられます。あるいは、大津皇子も皇位継承者なので、謀略とも伝えられています。

大津皇子は自分が捉えられて殺されることを察知、その前に、伊勢神宮にいる、姉である大伯皇女のもとを馬に乗って訪れます。

その後、大津皇子は、謀反の罪で捉えられ、自害することとなります。

妻の山辺皇女の殉死

大津皇子の妻の山辺皇女(やまのべのひめみこ)も、その後を追って自害して殉死します。

その時の様子が、『日本書紀』に

「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪を振り乱して裸足で走り、殉死した。それを見た者は皆嘆き悲しんだ)」

とあります。

万葉の時代の一つの悲劇として広く伝えられているのがこの「大津事件」なのです。

 

大伯皇女の大津皇子を詠んだ和歌

大伯皇女の万葉集の和歌は、いずれも、大津皇子を詠んだものです。

姉弟の悲しい別れと自身の帰京、その後の弟を二上山になぞらえた一連6首は以下のとおりです。

大津皇子との最後の別れ

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし 105

ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ 106

大津皇子の逝去を嘆く歌

神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに 163

見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに 164

二上山に大津皇子を偲ぶ歌

うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む 165

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに 166

一首ずつ解説します。

 

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし

読み:わがせこを やまとへやると さよふけて あかつきつゆに わがたちぬれし

作者と万葉集番号

大伯皇女 万葉集 2-105

現代語訳

あの人を大和へ返し送ろうと夜が更けて、暁の露に私は経ち濡れてしまったことだ

解説:

歌の詠み手である、姉の大伯皇女は、伊勢斎宮で26歳、大津皇子は自分が謀反の罪でとらえられるかもしれないと思い、その姉を訪ねて、伊勢神宮を訪問したのです。

別れて見送る際に、姉である大伯皇女が詠ったのが、上の歌です。

「さよ更けてあかとき露に」とあるのは、夜更けが2時から4時頃、そのあとの暁が、4時から6時頃になるので、実際に二人が会ったのは、夜中であったことがわかります。

夜明けの明かりを頼りに、大津皇子は出立したのでしょう。

 

二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

読み:ふたりいけど いきすぎがたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらん

作者と万葉集番号

大伯皇女 (2-106)

現代語訳

二人で行っても行き過ぎにくい秋山を、どのようにしてあの人は一人で越えているのだろうか二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ 大伯皇女

神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに

読み:かみかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけん きみもあらなくに

作者と万葉集番号

大伯皇女 万葉集(2-163)

現代語訳

伊勢の国にいればよかったのに何で来たのだろう。あの方もいないのに

解説

大津皇子が亡くなってから、大伯皇女が伊勢の斎宮から京に戻ってきた時の歌。

都に帰ってももはや弟のいない悲しさを詠っています。

 

見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに

読み:みまくほり わがするきみも あらなくに なにしかきけん うまつかるるに

作者と万葉集番号

大伯皇女 万葉集(2-164)

現代語訳

会いたいと思うあの方もいないのに なんできたのだろうか 馬が疲れるだけなのに

解説

大津皇子が亡くなってから、大伯皇女が伊勢の斎宮から京に戻ってきた時の歌二首目。

結句の倒置「馬疲るるに」も訴えるものがあります。

 

うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む

読み:うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたかみやまを いろせとあがみん

作者と万葉集番号

大伯皇女 (2-165)

現代語訳

一人この世に生き続ける私は、明日からは弟の眠るあの二上山を弟として見続けよう

解説

たった一人の肉親を失った深い喪失感と、切ない愛慕の情が漂う、印象的な上句を含む和歌です。

 

磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに

読み:いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに

作者と万葉集番号

大伯皇女 (2-166)

現代語訳

磯のほとりに生えている馬酔木を折りたいが、見せるべき相手であるあなたがいるわけではないのに

解説

この二首は、大津皇子が亡くなってから詠まれたものですが、激烈な調子がなくなり、しかし、底深い悲しみがうたわれており胸を打つものとなっています。

終わりに

大津皇子と姉の大伯皇女の短歌、その背景になる大津皇子事件について解説しました。

それぞれの短歌のより詳しい解説は個別ページにてご覧ください。

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