ぎたる弾くひと 萩原朔太郎とマンドリン  

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ぎたる弾くひと 萩原朔太郎とマンドリン

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萩原朔太郎の詩作品より「ぎたる弾くひと」について、鑑賞と解説、感想を記します。

萩原朔太郎の誕生日は、11月1日。「朔」の字は一日の意味で、誕生日にちなんで名づけられました。

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萩原朔太郎について

萩原朔太郎は、1886年、明治19年。群馬県前橋市生まれ。

11月1日生まれのため、(「朔」の字は一日を指す)、朔太郎と命名された。

父親は開業医で地元の名士とされたが、朔太郎は神経質かつ病弱で孤独癖があり、学業に打ち込めず、落第や退学を重ねた。

北原白秋、室生犀星などと交流し、詩人として出発。高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。三好達治は弟子。

孫に萩原朔美、娘は作家の萩原葉子。

 

ぎたる弾くひと

 

       ぎたる弾くひと 萩原 朔太郎

ぎたる弾く
ぎたる弾く
ひとりしおもへば
たそがれは音なくあゆみ
石造りの都会
またその上を走る汽車 電車のたぐひ
それら音なくしてすぎゆくごとし
わが愛のごときも永遠の歩行をやめず
ゆくもかへるも
やさしくなみだにうるみ
ひとびとの瞳は街路にとぢらる。
ああ いのちの孤独
われより出でて徘徊し
歩道に種を蒔きてゆく
種を蒔くひと
みづを撒くひと
光るしやつぽのひと そのこども
しぬびあるきのたそがれに
眼もおよばぬ東京の
いはんかたなきはるけさおぼえ
ぎたる弾く
ぎたる弾く。

 

マンドリンと朔太郎

「ぎたる弾くひと」は大正3年11月発表。 生前刊行の詩集には収録しなかったもので、おそらく、自身でも習作とみなしていたのだろう。

朔太郎は、文字通り、マンドリンを弾く人だった。

手がけた楽器はマンドリンだが、楽器の抱え方や演奏の仕方は、ほぼギターと同じといっていいだろう。

マンドリンのサークルにも参加し、一時はそれで身を立てようと思ったこともあったようだ。
朔太郎作曲の曲というものも楽譜に残されている。

写真や手品など、趣味の多い人でもあった。
朔太郎の娘の葉子は、それら遺品を見て、父の孤独を胸が痛くなるくらい感じたという。

この詩もまた、悲しい詩人の魂の彷徨が主題である。

 

朔太郎の詩に曲をつけるとは!

私は高校生の頃、音楽専門の科にいて、作曲の先生に、歌曲を作曲するように言われたことがある。

もっとも、課題というのではなく、その年代は作曲専攻はその学校には私一人しかいなかったので、要は何でもやってみろということだった。

「詩はどうしたらいいでしょう」

と私が先生に尋ねると、先生は

「なんでもいい。”君の”萩原朔太郎でもいいからさ」

そのように言ったのを憶えているところを見ると、どうやら私はそれ以前に萩原朔太郎が好きだとかなんとか話してもいたらしい。上記の事情で授業はいつも一対一だった。

それをきくと、私は大いに憤慨して、すぐさま言った。

「とんでもない、そんなことはできません」

当時は、それは朔太郎の詩に対する冒とくだと思ったわけなのだが、要は学習のためなのであったから、今になってみると、それで作っておけばよかったなあと思うのだ。

まあ、朔太郎の詩にもいろいろなものがあるのだから、短歌の「ソライロノハナ」でもよかったし、全集を探せば朔太郎自身の習作のようなものでも探し出せたかもしれない。

そもそも、どんな詩にも曲が付けられるわけではない。作曲を想定せずに作られた詩に曲をつけるのは、たいへんというより、成り立たないことの方が多い。

音楽には音楽の形式があって、その起承転結に沿って作られていない歌にメロディーを割り振るのは不可能なのだ。

曲をつけることを想定していない場合はとにかく短い詩に限る。長いものだと収まりきらないが常な、短ければ何とかなる場合が多い。

今になってみれば、無下に断らないで、朔太郎の短い詩を探せばよかったと後悔することしきりなのである。




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