手套を脱ぐ手ふと休む何やらむこころかすめし思ひ出のあり 石川啄木【日めくり短歌】  

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手套を脱ぐ手ふと休む何やらむこころかすめし思ひ出のあり 石川啄木【日めくり短歌】

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手套を脱ぐ手ふと休む何やらむこころかすめし思ひ出のあり 石川啄木

きょう11月23日は、手袋の日。

きょうの日めくり短歌は、歌集『一握の砂』より手袋にちなむ、石川啄木の短歌をご紹介します。

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手袋の日

「手袋の日」は今年に入って2回目ですね。

前回の手袋の日と、手袋の短歌は

ゆびというさびしきものをしまいおく革手袋のなかの薄明 手袋の短歌【日めくり短歌】

 

他にも、手袋の短歌で思い出せるものはというと、石川啄木の「一握の砂」より章のタイトルにもなった、その冒頭の歌があります。

 

手套を脱ぐ手ふと休む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり

読み:てぶくろを ぬぐてふとやすむ なんやらん こころかすめし おもいでのあり

作者と出典

石川啄木 『一握の砂』 手袋を脱ぐ時

一首の意味

手袋を脱ぐ途中の手を止めた。なんだろう、心をかすめていく思い出があるのだ


解説と鑑賞

一首の解説と鑑賞です。

『一握の砂』の「手套を脱ぐ時」より

この歌は、先にいったように、石川啄木の歌集『一握の砂』の「手套を脱ぐ時」と題された最後の章の冒頭に置かれた歌です。

「一握の砂」の多くの短歌は、回想が主要なモチーフとなっています。

この短歌についても「思い出のあり」ということで、作者啄木が、まだ内容はわからないものの、何かの思い出の片りんを心に浮かべている様子が察せられます。

今の言葉でいうと、いわゆる「デジャビュ」のような感覚でしょうか。

何かなつかしい記憶が思い出せそうだが、はっきりとはしない。回想の内容ではなく、回想する自分そのものを詠っているのです。

その後の短歌は

いつしかに情をいつはること知りぬ髭を立てしもその頃なりけむ

として、自分の心境の変化の時期を思い出しています。

次の歌、

朝の湯の湯船のふちにうなじ載せゆるく息する物思ひかな

これも、物思いの内容ではなくて、物思いをする自分自身を詠っている歌です。

淡く柔らかい回想の短歌

『一握の砂』の中でも、初期の鋭い自責と他責の心境は影を潜め、淡い回想にいろどられた柔らかい作品が多くなっています。

それが、章のタイトル「手套を脱ぐ時に生じるような思い」というコンセプトに統一して生まれた作品として並べられているのです。

しかし、『一握の砂』の最後は、啄木は愛児の死という出来事を詠っており、これは紛れもなく現実の、回想ではないリアルタイムの出来事です。

「手套を脱ぐ時」のそこまでの歌は、緩やかな束の間の休息のような歌群となっているのです。

きょうの日めくり短歌は、「手袋の日」にちなんで石川啄木の短歌をご紹介しました。

それではまた明日!

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