ダリを詠んだ短歌 シュルレアリスムの画家の「柔らかい時計」【日めくり短歌】  

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ダリを詠んだ短歌 シュルレアリスムの画家の「柔らかい時計」【日めくり短歌】

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ダリの忌日は今日1月23日、サルバドール・ダリはアンドレ・ブルトンと共にシュルレアリスム運動に広めた画家ですが、ダリの絵やその手法は、美術のみならず、多くの分野に多大な影響を与えました。

きょうの日めくり短歌は、塚本邦雄他のダリを詠んだ歌をご紹介します。

サルバドール・ダリ シュルレアリストの画家

サルバドール・ダリは、スペインのシュルレアリスト、画家です。

日本での人気も高く、おそらく一番知られている絵をあえて挙げるとすると、「記憶の固執(柔らかい時計)」をあげたいと思います。

ダリの短歌として思い出せるものは、まず、下の短歌から

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

作者:塚本邦雄

解説と鑑賞

「液化していくピアノ」は真実の革命の不在を暗示するとの解釈がありますが、特にこれがダリとの関連があると言われているわけではありません。

しかし、家具や楽器が”溶ける”という視覚イメージは、ダリの絵がなかったら、想像であっても思い浮かべることはできません。

ちなみに、ダリの「溶ける時計」は、妻であるガラが食べていた、カマンベールチーズが溶ける様子を見てインスピレーションを得たと伝えられています。

溶けるチーズに「時」の要素を加味したのが、ダリのイメージの素晴らしいところです。

 

塚本邦雄のダリを詠んだ歌には他にも

 

きみに餞(おく)るダリが描きし緋ダリアの炎(も)えつきて空白の百號(ひゃくごう)

作者:塚本邦雄

解説と鑑賞

塚本邦雄は、現代の歌人なのですが、歌や著作には旧漢字を用いています。

恋人か友人に贈ったダリの絵の中の赤い花がめらめらと燃えてなくなってしまい、キャンバスだけが残されるという幻想的な内容です。

それ以上にこの歌にはたくさんの工夫が凝らされています。

短歌と音韻

「ダリが描きし緋ダリア」は、韻を踏むようにして、音を揃えています。

他に「緋ダリア」の「ひ」そして、「百號(ひゃくごう)」の「ひゃく」の「ひ」、こちらも音を揃えています。

「百號(ひゃくごう)」というのは、これは、キャンバスのサイズのことです。

1620 x 1303というのが、そのサイズですので、大変大きな絵ということになりますね。

そこが空白になってしまうということは、空白もまたたいへん大きな空(くう)であるのです。

そして、もう一つ、「炎えつきて」は普通は「燃えつきて」と書かれるのですが、ここでは、「炎」の文字が当てられている。これを「も」と読む人はいません。「ほのお」という読みをいっしゅん浮かべることになります。

その場合には、「緋ダリア」の「炎」「百號」となって、ほのおの「ほ」も、仮想の「炎」を含むハ行で揃えられることとなります。

そして、「緋」を先に置いた、「炎」には、視覚的に「赤」の色が強調されることとなります。このような効果のために「炎」が置かれるのです。あたかもダリの「ダブルイメージ」を思わせるような、巧みな演出です。

塚本という歌人は、そのようなことも考えて歌を作るハイレベルの歌人であるわけなのです。

ダリの短歌を紹介するつもりが、塚本邦雄の短歌の讃嘆になってしまいましたが、他の歌人にも興味深い作品があります。

 

サルヴァドールダリ死せりけり燦然とあるひは平凡に妻におくれて

作者:小池光

解説と鑑賞

この歌は「死せりけり」で句切れ。つまり「。」がつくところです。

まずは、その「ダリの死」がメインであり、それだけで、この事実が作者にどのようなインパクトがあったのかを物語ります。

さらに「燦然とあるひは平凡に」のところが、作者の主観です。

有名なダリの死は、一面「燦然と」、世界中がその死を悼みました。

しかし、死は誰にとっても起こるものであり、「平凡」なものとも言えます。

ダリの妻ガラとダリとは、普通の夫婦ではなく特別な関係を思わせる夫婦でした。

しかし、「妻に遅れて」は、むしろ死の平等性を思わせる句であるように思われます。

 

(柔らかい時計)をもちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

作者:公田耕一

この作者は朝日歌壇の投稿で話題になったホームレス歌人の公田さんです。もちろん本名ではありません。

ホームレスなので、炊き出しに並ぶ。しかも2時間も。

その時間を「(柔らかい時計)をもちて」と印象的な初句で表現します。

これは、ホームレスの人にだけ持てる(柔らかい時計)であるのかもしれません。

 

 

 

ダリのキリンのネクタイをして現れしこの青年は息子でもある

作者:永田和宏『百万遍界隈』

作者の妻は歌人の河野裕子さん。息子さんは永田淳さんです。息子さんも歌人ですが、お父さんからはそのネクタイが珍しかったのでしょう。

「息子でもある」は、息子のアイデンティティーの多重性をものがたります。

むしろ息子をやや離れたところから見た時の感慨であり、その象徴が「ダリのネクタイ」であるのです。

 

きょうの日めくり短歌は、ダリを詠んだ短歌を現代短歌からご紹介しました。

それではまた明日!

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