文学

岡本かの子をめぐる逸話 岡本太郎に一平が送った電報

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岡本かの子の命日、かのこ忌は2月18日です。

岡本かの子の夫は、岡本一平、息子は、岡本太郎です。妻と母の死に対し、父が息子太郎に送った電報が伝わっています。

岡本かの子の逝去をめぐる一家のエピソードをご紹介します。

岡本かの子の逝去時の逸話

岡本一平とかの子夫妻は、一平が朝日新聞の特派員となったため、1930年(昭和5年)、かの子の愛人の青年2人とで一緒に渡欧。

10年フランスで暮らしたそうですが、パリで勉強を続ける太郎を置いて別れて帰国、そのあとは、かの子は太郎には会わずに亡くなってしまいます。

その折、かの子の夫、岡本一平は、太郎にかの子が亡くなったことを、電報で次のように知らせました。

岡本かの子の逝去を伝える電報

なくなる4日前には、 「カノコビョウキ、カイフクノミコミ」。

そして2日後、「カノコキトク、キボウヲステズ」。

そのまた2日後、太郎の元にとうとう次の電報が届きます。

「カノコヤスラカニネムル。キヲオトスナ。
ボクハキミノタメニイキル。スコヤカニアレ。
クルシケレバ、デン(電)ウテ」

かの子を挟んで、一平と太郎の間の強い絆、そして最終行には、かの子と一平との強い結びつきもうかがえます。

かの子は、その後の岡本太郎の華々しい活躍を目にすることはありませんでしたが、太郎の自由奔放なところやその作風は、やはりかの子から受け継がれたものだったかもしれません。

かの子から太郎へ受け継いだもの、そして、かの子もまた、一人の母であったということにこれらの短歌の作品を見ると、少なからずほっとする思いになるのです。

岡本かの子の短歌については
岡本かの子の短歌代表作と桜の短歌

 

奔放な母 岡本かの子

岡本かの子は、ある意味女性作家らしく、恋愛にも家庭生活においても奔放な女性だったことが知られています。

執筆に忙しい余り、太郎が子どもの時は、紐で柱につないでおいたというのですから、驚きです。

そもそも、お手伝いさんつきの裕福な家に育ったため、家事も育児もできなかった、というより、しようとしなかったのでしょう。

その他にも、夫である岡本一平の他にも、若い愛人が2人もいて、その両方とも同じ家に同居するという不思議な生活を送りました。

夫一平が、かの子の性格をよく知っており、おそらくそうしないことには、逆に家庭が保たれないと思ったのかもしれません。

一平は、かの子の理解者であったのは間違いありませんが、一平自身がまるで母のように、かの子の面倒を見ていた印象もぬぐえません。

しかし、そのような家庭環境で、一平に守られながら、岡本かの子は作家として活躍、さらに、岡本太郎も立派な芸術家として育ちましたので、才能というものの不思議さも思わせられます。

岡本かの子の短歌については
岡本かの子の短歌代表作と桜の短歌 

 

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